コラム 2012.03.01

「神のご加護を。そしてパスを」  竹中 清(スポーツライター)

「神のご加護を。そしてパスを」
 竹中 清(スポーツライター)

 「ラグビー感謝の日」を設けた、トップリーグのキャプテン会議はエライ! それに賛同したトップリーグ全チームにも拍手を送りたい。日ごろの支援や協力に対して感謝の気持ちを込め、それぞれの活動拠点において、ラグビーを通じた社会貢献活動を行うそうだ。今年は3月25日が、その大切な日。
 選手の皆さま。もしその日、独りポツンと、遠くからあなた方に視線を送る子ども
を見かけたら、どうか優しく声をかけてあげてください。まさかですけど、その子の人生を変える出会いになるかもしれません。


 


 もし誰かのパスが届いていれば、救われたかもしれない人がいる。
 10年前に私が出会った、南アフリカのストリートチルドレンの話 ―――



 


 年末年始の華やいだ雰囲気が町中から徐々に薄まるにつれて、嬉しくて仕方がないという者がいる。JC、ジェイコブス、ジョナサン、ボニーの仲良し4人組は、他の人間が幸せに浸っているときは、自分たちはその輪の中に入ってはいけない、と教えられてきた。だから、クリスマスや新年のめでたいイベントが終わった今、自分たちが邪魔者扱いされることも少しはなくなったというのだ。彼らは繁華街に住む、ストリートチルドレンである。


 


「クリスマスイブの出来事だよ。オレたちがコンビニの近くで楽しく喋ってたのさ。サンタがいたら何が欲しいかってね。そしたらコンビニの店長と警備員が来てオレたちを追い払おうとするんだ。そしてアイツらはこう言ったんだ。『とっとと失せろ、クズども! オマエらの顔を見て気を悪くするお客様がいるんだよ!』ってね。あの夜はすごい雨だったから、オレたち雨宿りしてただけだぜ。オレたちは犯罪者でも、クズでもねぇよ。『ゴッド・ブレス・ユー』、なんてよく言うぜ。神もサンタもいやしねえんだ」
 リーダー格のJCが一気にまくし立てると、ボニーが続いた。
「でもね、いつまでもアイツらの言いなりになんてならないよ。オレたち13歳だから
ね、まだ子どもだ。大人になったら金持ちになって、こんな生活なんておさらばだよ
 彼らはまだ、夢見る力を持っていた。その手段はどうであれ、時が経てば明るい未
来はやってくると信じている。しかしまもなく、それは幻想であると思う者が出てくるかもしれない。


 


 18歳のクリスティアーノも、大人になれば世界は変わると信じていた。しかし、今は人生に絶望し始めている。
 彼はクリスマスイブの夜、ズブ濡れのセーターを着たまま、彼の兄とともに道端に
横たわっていた。父親は彼が1歳の頃に刑務所に入れられ、母親は病気で亡くなったという。仕方なく路上での物乞いを始めたが、唯一の頼りだった兄も、酔っぱらってふざけた白人の若者からドリルで頭に穴を開けられ、障害を抱えてしまった。
「オレがしっかりしなくちゃいけないのはわかっている。でも、もううんざりだ」


 


 クリスティアーノの両足には犬に噛まれた深い傷あとがあった。警察官に追い回されたときのものだ。背中には銃傷。10歳の頃、車を乗り回す若者たちの銃の標的になった。自暴自棄になり、魔が差して盗みを働き、刑務所に入れられたこともある。しかし、それ以来悪さをしなかったのは、天国の母親が悲しんでいると思ったからだ。
 彼は刑務所の中で針金とライターを手に入れた際、両腕に刺青を彫った。右腕には
「神様、ボクは牢屋の中にいます。自分が嫌いです」と。左腕には「ママ、ボクが犯した罪を許してください」と。
「オレね、サッカーの選手になりたかったんだ。子どものとき、ママが買ってくれた
ボールで兄貴とよく遊んだんだ。楽しかったなあ。ねっ、兄貴」
 目を閉じていた兄が微かに笑った。それを見たクリスティアーノは一言だけ、「変
わりたい」とつぶやいた。


 


 これらはほんの一部の悲劇に過ぎない。南アフリカの失業問題は深刻だ。2000年2月の調べでは失業率26.7%(2011年は24.51%)と、ほぼ4人に1人が生きるすべに苦しんでいるという統計が出た。最も失業率の低い、人口約100万人都市のケープタウンでさえも、都心部だけで450人のストリートチルドレンが存在するという(当時)。もはや無視できる問題ではない。


 


 そこで立ち上がったのが、スポーツ界だった。
 ラグビーの元南アフリカ代表監督であるニック・マレット氏は、ストリートチルド
レンをスポーツの世界に引き込もうと必死になった。2001年初頭、ケープタウン警察と協同で『スポーツ・アゲインスト・クライム』というプロジェクトを立ち上げた。
 「彼らに何か夢中になれるものを与えられれば、この国を悩ます犯罪社会、失業問
題も少しは改善されると思う。スポーツを通じて、彼らが責任感や協調性、他人を尊敬する心を養えられれば素晴らしいことだが、それよりもまず、彼らを現状から脱け出させてやることが我々の役目ではないだろうか」とマレット氏は当時の新聞に語っている。以来、定期的にスポーツ教室が開かれ、このプロジェクトに自主的に参加するスポーツ選手が急増した。ラグビー、サッカー、クリケット界に加え、チェス協会などの団体も支援を始めた。南アフリカの新たな挑戦である。


 


 そして2002年1月中旬、このムーブメントを後押しする出来事があった。世界的に有名な慈善団体、『ローレウス・ワールドスポーツアカデミー』のメンバーが南アフリカにもやって来たのである。 『ワールドスポーツアカデミー』はそれまで、世界数十カ所でスポーツ普及活動を行っていた。ウガンダ、ケニア、北アイルランド、中東、中国、オーストラリア……。当時42人で構成されたメンバーは、いずれも各スポーツ界で神のように崇められた人物である。ナディア・コマネチ(体操)、ゲーリー・プレーヤー(ゴルフ)、ボリス・ベッカー(テニス)、カタリーナ・ビット(フィギアスケート)などが伝道師となり、世界中の悩める人々にスポーツを与え続けている。


 


 南アフリカには、陸上400mハードル元世界王者のエドウィン・モーゼスと、十種競技の五輪金メダリストであるダレイ・トンプソン、アルゼンチンが生んだ偉大なラグビー英雄ウーゴ・ポルタらが訪れ、一週間、ケープタウンに住むストリートチルドレン約100人を集め、スポーツを通して心の交流を図った。
 モーゼスは言った。
「彼らはやる気を目覚めさせただけではなく、希望と喜びを知ったのではないでしょ
うか。我々の目的は、スポーツを通じて人々を勇気づけることです。苦悩に満ちた子どもたちを救い出すことができたら、どんなに素晴らしいでしょう」
 手を差し伸べられた子どもたちは笑顔を取り戻したに違いない。


 


 『ワールドスポーツアカデミー』のメンバーが南アフリカを去った数日後、私は年末年始に出会ったストリートチルドレンに再び会いにいった。しばらく彼らの姿を見ていなかったため、きっとスポーツ教室に参加していたのだろうと思ったからだ。
 あの仲良し4人組は、モーゼスとバスケットボールを楽しんだらしい。神もサンタ
もいないと言っていたJCは、モーゼスこそ神様だと笑った。4人の少年の瞳は見違えるほどイキイキしていた。


 


 そして、「変わりたい」とつぶやいたクリスティアーノはというと……。
 彼はスポーツ教室のことなどまったく知らなかったらしい。姿を見せなかったのは
、仕事を求めて町中を歩き回っていたのではないだろうか。再会したとき、確かに彼は変わっていた。仕事らしきものも得ていた。彼は惨めな生活に耐えられなくなり、ついに薬物の売人になることを決意していたのだ。そして商売道具に手を出し、自ら廃人になっていたのである。「ママ、ボクが犯した罪を許してください」と書かれた左腕から鮮血が流れていた。
 彼には、サッカーボールは回ってこなかったのである。


 


 


スポーツライター
竹中 清


 


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南アフリカでは現在、週末になるとさまざまなボランティア団体が貧しい子どもたちへのスポーツ普及活動に取り組んでいる


 

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