コラム 2011.04.20

Kurtley Beale カートリー・ビール (オーストラリア/ワラタス)

Kurtley Beale カートリー・ビール
(オーストラリア/ワラタス)

 オーストラリア先住民アボリジニの血を引く英雄といえば、2000年シドニー五輪の女子陸上競技400mで金メダルを獲得したキャッシー・フリーマンの名がまず浮かぶ。ボクシング世界王者に君臨したライオネル・ローズや、バスケットボールNBAプレーヤーになったネイサン・ジャワイなども、アボリジニとしての誇りを胸に歴史に名を刻んだヒーローであるが、楕円球の世界に挑戦して、プロ入り5年目で“ミリオンダラー・ベイビー”の称号をつかんだカートリー・ビールもまた、マイノリティーの人々に夢を見させてくれる風雲児だ。



 2011年4月14日、世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」に参入したばかりのメルボルン・レベルズが、オーストラリア代表の若きスターFBカートリー・ビールと来季からの2年契約を交わした
と発表した。現在、シドニーのワラタスに所属するビールはチームの看板選手であり、突然の移籍話にオーストラリアラグビー界には衝撃が走った。レベルズ側が提示したとされる年俸は40万豪ドル(約3500万円)。ほかにもオーストラリア協会との契約金や代表としての出場給・勝利給、それに広告収入なども合わせると、ビールは22歳の若さで100万豪ドル(約8800万円)を稼ぐことになる


 


 新進気鋭の万能バックスをめぐり、ユニオン(15人制)、リーグ(13人制)の複数チームが争奪に動き、結局は大金に釣られたかと揶揄する声もあるが、ビールにはアボリジニとラグビーをつなぐ懸け橋になりたいという強い願いがあった。レベルズの本拠地メルボルンは、アボリジニ・コミュニティーの影響力が強い土地として知られており、良好関係を築きたいレベルズはビールに親善大使的役割も求め、彼のハートをつかんだ。



 品行方正な好青年ではない。プロデビュー直前の2007年1月に無免許飲酒運転が発覚、2009年12月には従姉妹に対し暴行事件を起こしたとして裁判沙汰、2010年6月にはナイトクラブ近くの公共
の場で立ち小便をしていたことが新聞報道され、オーストラリア協会から5000豪ドル(約45万円)の罰金を科せられたこともある。若き日の過ちを並べても伝説の序章にすらならないが、悪童の困り顔と解放されたときの無邪気な笑顔は、多くの人を惹きつける。グラウンド上で輝けば、大物と呼ばれるのはあっという間だ。



 早熟の天才といわれ、3年連続で高校オーストラリア代表選出、しかも9試合出場は同国史上最多記録。高校在学中の16歳でワラタスとプロ契約を結び、卒業後まもない18歳でスーパーラグビー
に出場した。万能ゆえ、SO、CTB、FBという複数ポジションで試され、伸び悩んだ時期もあったが、2009年にワラビーズ(オーストラリア代表)入り後は、FBとしての才能が大きく開花。2010年はワラビーズ全14試合のうち13試合に出場し、7トライを記録するなどの活躍で、IRB(国際ラグビーボード)の年間優秀選手にノミネートされた。大賞受賞はならなかったものの、ロビー・ディーンズ代表監督の信頼を完全に勝ち取った。



 特筆すべきは、2010年9月4日のブルームフォンテーンで行われた南アフリカ戦。この日先制トライを挙げるなど存在感を発揮していたビールは、1点ビハインドのワラビーズが試合終了直前に
ゴールから55メートル離れた地点でペナルティーチャンスを得ると、それまでキッカーを務めていたジェームズ・オコナーから大役を引き継ぎ、ポストの間にPGをねじ込んで逆転勝利をもたらした。ワラビーズが敵地で南アフリカを破ったのは47年ぶりの快挙。彼は、重圧にも屈しない強靭な精神力も示した。


 


 いまや、世界最高のアタッキングプレーヤーのひとりと誰もが認める。課題とされていたディフェンスにも安定感が増した。ワラタスを去る前に、シドニーのファンにスーパーラグビーの優勝カップを見せるのが当面の目標だ。9月にはゴールドジャージーに身を包み、勇ましくニュージーランドの地に乗り込むことだろう。そして10月23日、エリスカップのそばで笑うことができたならば、『カートリー・ビール伝説』の第1章は完成となる。


 


 


ポジション: FB/SO/CTB
生年月日: 1989年1月6日(22歳)
出身地: シドニー(オーストラリア)
身長: 184cm  体重: 94kg
所属チーム: NSW ワラタス



【国代表】
デビュー: 2009年11月28日 対ウエールズ
CAP: 14
得点: 41(トライ:7 PG:2)

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