Kurtley Beale カートリー・ビール (オーストラリア/ワラタス)
オーストラリア先住民アボリジニの血を引く英雄といえば、2000年シドニー五輪の女子陸上競技400mで金メダルを獲得したキャッシー・フリーマンの名がまず浮かぶ。ボクシング世界王者に君臨したライオネル・ローズや、バスケットボールNBAプレーヤーになったネイサン・ジャワイなども、アボリジニとしての誇りを胸に歴史に名を刻んだヒーローであるが、楕円球の世界に挑戦して、プロ入り5年目で“ミリオンダラー・ベイビー”の称号をつかんだカートリー・ビールもまた、マイノリティーの人々に夢を見させてくれる風雲児だ。
2011年4月14日、世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」に参入したばかりのメルボルン・レベルズが、オーストラリア代表の若きスターFBカートリー・ビールと来季からの2年契約を交わしたと発表した。現在、シドニーのワラタスに所属するビールはチームの看板選手であり、突然の移籍話にオーストラリアラグビー界には衝撃が走った。レベルズ側が提示したとされる年俸は40万豪ドル(約3500万円)。ほかにもオーストラリア協会との契約金や代表としての出場給・勝利給、それに広告収入なども合わせると、ビールは22歳の若さで100万豪ドル(約8800万円)を稼ぐことになる。
新進気鋭の万能バックスをめぐり、ユニオン(15人制)、リーグ(13人制)の複数チームが争奪に動き、結局は大金に釣られたかと揶揄する声もあるが、ビールにはアボリジニとラグビーをつなぐ懸け橋になりたいという強い願いがあった。レベルズの本拠地メルボルンは、アボリジニ・コミュニティーの影響力が強い土地として知られており、良好関係を築きたいレベルズはビールに親善大使的役割も求め、彼のハートをつかんだ。
品行方正な好青年ではない。プロデビュー直前の2007年1月に無免許飲酒運転が発覚、2009年12月には従姉妹に対し暴行事件を起こしたとして裁判沙汰、2010年6月にはナイトクラブ近くの公共の場で立ち小便をしていたことが新聞報道され、オーストラリア協会から5000豪ドル(約45万円)の罰金を科せられたこともある。若き日の過ちを並べても伝説の序章にすらならないが、悪童の困り顔と解放されたときの無邪気な笑顔は、多くの人を惹きつける。グラウンド上で輝けば、大物と呼ばれるのはあっという間だ。
早熟の天才といわれ、3年連続で高校オーストラリア代表選出、しかも9試合出場は同国史上最多記録。高校在学中の16歳でワラタスとプロ契約を結び、卒業後まもない18歳でスーパーラグビーに出場した。万能ゆえ、SO、CTB、FBという複数ポジションで試され、伸び悩んだ時期もあったが、2009年にワラビーズ(オーストラリア代表)入り後は、FBとしての才能が大きく開花。2010年はワラビーズ全14試合のうち13試合に出場し、7トライを記録するなどの活躍で、IRB(国際ラグビーボード)の年間優秀選手にノミネートされた。大賞受賞はならなかったものの、ロビー・ディーンズ代表監督の信頼を完全に勝ち取った。
特筆すべきは、2010年9月4日のブルームフォンテーンで行われた南アフリカ戦。この日先制トライを挙げるなど存在感を発揮していたビールは、1点ビハインドのワラビーズが試合終了直前にゴールから55メートル離れた地点でペナルティーチャンスを得ると、それまでキッカーを務めていたジェームズ・オコナーから大役を引き継ぎ、ポストの間にPGをねじ込んで逆転勝利をもたらした。ワラビーズが敵地で南アフリカを破ったのは47年ぶりの快挙。彼は、重圧にも屈しない強靭な精神力も示した。
いまや、世界最高のアタッキングプレーヤーのひとりと誰もが認める。課題とされていたディフェンスにも安定感が増した。ワラタスを去る前に、シドニーのファンにスーパーラグビーの優勝カップを見せるのが当面の目標だ。9月にはゴールドジャージーに身を包み、勇ましくニュージーランドの地に乗り込むことだろう。そして10月23日、エリスカップのそばで笑うことができたならば、『カートリー・ビール伝説』の第1章は完成となる。
ポジション: FB/SO/CTB
生年月日: 1989年1月6日(22歳)
出身地: シドニー(オーストラリア)
身長: 184cm 体重: 94kg
所属チーム: NSW ワラタス
【国代表】
デビュー: 2009年11月28日 対ウエールズ
CAP: 14
得点: 41(トライ:7 PG:2)