国内 2022.11.25

【特別対談】つながる。ラグビーの絆

【特別対談】つながる。ラグビーの絆
福島県出身の大野さん(左)と、青森県出身の安東社長。同じ東北出身のラグビーマンとしてすぐに意気投合した(撮影/落合史生)

小学校高学年世代の選手たちが都道府県の枠を越えて交流する機会として、東北、関東、関西、九州の4地区で開催されてきた『SEINANラグビーマガジンCUP』。今年はコロナ禍で過去2年中止となった関東、東北でも開催が実現し、3年ぶりに4大会すべてが実施された。10月15、16日に岩手県奥州市の水沢ふれあいの丘公園多目的運動広場で行われた東北大会には、元日本代表で福島県出身の大野均さんも来場。参加者を対象としたクリニックを行うなど、充実した時間となった。なお大会後には、2013年よりSEINANラグビーマガジンCUPをサポートする株式会社青南商事の安東元吉代表取締役社長と、大野さんが対談。ラグビーへの思いや、この世代の選手たちに期待することを、存分に語り合った。

※この記事は、ラグビーマガジン2023年1月号に掲載された対談記事を、加筆・再編集したものです

大会から生まれるいいサイクル

――地元東北の大会で、小学生を対象としたクリニックを行った感想はいかがですか。

大野「予想以上に多くの選手たちが参加してくれて驚きました。もう少しうまくできた部分もあって、準備不足だったなと反省しているのですが、みんな一生懸命取り組んでくれてうれしかったです」

安東「うらやましいですよね。元日本代表の選手からラグビーを教わる機会なんて、私は一度もなかったですから。子どもたちにとってすごく大きい財産になると思います」

大野均[元日本代表/BL東京アンバサダー]
おおの・ひとし◎1978年5月6日生まれ、福島県出身。清陵情報高-日大工学部-東芝ブレイブルーパス(現東芝BL東京)。現役時代のポジションはLO。大学時代にラグビーを始め、2004年に日本代表入り。W杯には2007年から3大会連続で出場し、2015年大会では南アフリカ撃破の一員となった。通算98キャップは日本代表史上最多。2020年5月に41歳で現役を引退し、現在はBL東京のアンバサダーとしてラグビーの普及と認知度を高める活動を行なっている。

――コロナ禍で一番大きい影響を受けたのが小学生世代で、多くの大会やイベントが中止になってきました。今回の東北小学生交流大会も実に3年ぶりの開催で、試合ができる喜びを実感する機会となりました。

大野「やっぱり試合が一番楽しいですし、それが見ていて伝わってきました。依然として制限がある状況は続いていますが、こうした機会を作ってあげることが非常に大事だと、あらためて感じました」

安東「私が代表を務めている弘前サクラオーバルズも先日参加した県内の大会が2年ぶりの大会で、県外チームとの試合は今回が初めて。設立して4年で、ようやく念願のSEINANラグマガCUPに出場することができました(笑)」

安東元吉[株式会社青南商事 代表取締役社長]
あんどう・げんきち◎1972年6月12日生まれ、青森県出身。弘前高-早大から豪州留学を経て1997年に青南商事に入社し、2010年より現職。青南商事は2013年から全国で開催される小学生の交流大会、『SEINANラグビーマガジンCUP』を特別協賛社としてサポートするほか、女子日本代表オフィシャルスポンサーとしてラグビーを支援している。2018年に地元弘前市で設立した特定非営利活動法人『弘前サクラオーバルズ』の代表者も務める。

安東「ウチのチームは午前中の試合が単に負けただけでなく心まで折られたような内容で、選手たちも落ち込んでいたのですが、午後の試合では、点差は離れましたが最後までよくタックルにいっていました。子どもたちも成長を実感したようで、ある子は『来年の目標は○○に勝つことだ!』といっていました。そんな言葉を聞くのは初めてでしたし、クラブとして新しい一歩を踏み出せたと感じます」

――まさにそれが、初めて接する遠方の相手と試合をする意義ですね。

大野「県外に出てレベルの高い相手と戦うことで、次の目標が見つかる。こうした大会があることで、そんないいサイクルも生まれます」

安東「私も小学校時代に2年ほどラグビースクールに入っていましたが、そんな経験はしたことがなかった。彼らの人生にとって思い出深い機会になったんじゃないかなと思います」

大野「私が日本代表に入った最初の年のヨーロッパ遠征で、スコットランドに100点取られて負けたんです。そんな相手に勝てる日がくるとは思っていなかったですから」

安東「特にこの世代の子は、最初に勢いに乗って雰囲気がよくなるといい試合ができる。気持ちを切らさず戦えたというだけでも、先につながる経験だったと思います」

大野「大人にとっても大事な機会ですよね。体の小さい子が大きい子に一生懸命タックルに行く姿って、それだけで感動的ですから」

安東「サクラオーバルズの保護者にとっても、こういう経験は初めて。子どもの思いが伝わったと思いますし、最後は大人のほうがみんな泣きそうになっていました」

大野「試合中に安東さんが『もっと声出してみんなでやっていこう』と話をしていましたが、こういう大会を経験することで、子どもたちもチームとしてひとつにまとまる。強い結束感を感じられるようになったと思います」

日本ラグビーのさらなる発展のために

――青南商事は2013年からこの交流大会をサポートされています。そこにかける思いを教えてください。

安東「この年代の競技人口が増えることがラグビーの発展につながるし、ひいては日本代表の強化にもつながると思っています。そのためには、この世代の子どもたちに『ラグビーが楽しい!』と感じてもらうことが大事。大人になってもラグビーに携わりたいという人が増えてほしいし、こうした大会に参加することは、ラグビーへの思いを強くするきっかけになると思います。そう考えれば、こうした大会を開催するのは、一番大事なことなのかもしれません」

大野「この大会で対戦した相手と、将来『『あの大会に出てたんだ』『一緒に試合したよね』と話をできるようになることがすばらしい。ラグビーってそういうつながりが生まれるスポーツで、あんなキツくて痛い経験をしたというだけで、強い仲間意識を持てますよね。今大会に出場した選手たちも、きっと将来につながる仲間と出会えたと思います」

――日本ラグビーがさらに発展していく上で、この世代の活動を活性化していくことは重要なテーマです。

大野「2019年のW杯後にリーチ マイケルが、『上に行けなかったのは僕が悪いんです』といっていたんです。どういうことかというと、ずっとベスト8が目標といってきて、いざベスト8進出が決まったら、選手たちがそこで満足してしまったと。日本代表が世界でも勝てるということは、2015年、2019年のW杯で証明できた。となるとあとは優勝ですよね。日本代表の選手たちが『世界一になるんだ』といい続けることで、下の年代の選手たちも『日本ラグビーは世界で通用する』と自信を持てる。そこはすごく大事だと思います」

安東「サクラオーバルズは少年ラグビーの他にも、男女のシニア、U15、U18と、すべてのカテゴリーでチームを作って活動しています。日本代表が強くなることでラグビーの認知度が高まり、それが私たちのようなクラブの追い風になる。そしてそうした活動が弘前から東北、全国へと広がっていくことで、日本全体のラグビーの活性化につながる。そこから日本代表がさらに強くなるという好循環が生まれるのが理想ですね」

大野「いろんな県で、サクラオーバルズのようなチームを作ろうという動きが出てほしいですね」

クリニックで指導する大野さん。日本代表最多キャッパーとふれ合った時間は、選手たちにとって宝物だ(撮影/落合史生)

――最後に、今大会の未来に期待することをお願いします。

大野「繰り返しになりますが、まずはこういう機会を大人が作ることが大事。コロナ禍でも誰もが安心して参加できるよう準備をして、子どもたちの目標を作ってあげることが、我々大人の役割だと思います。そして参加した選手たちには、他県のライバルと出会う楽しさを、存分に感じてほしいですね」

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