コラム 2021.09.16

【大学ラグビーコラム】変わらない想い。

[ 中矢健太 ]
【大学ラグビーコラム】変わらない想い。
左から、学生コーチの松村壇、齋藤学と、主務の井植魁利
練習中の齋藤。とにかく選手に話しかける回数が多い



 もし自分だったら、どんな決断をしていただろう。

 慶應義塾(體育會蹴球部/大学ラグビー部)の学生スタッフは、2年生の終わりに、同期による投票で選ばれる。
 選ばれた者は役職に専念、つまり投票は引退宣告になる。

 フルタイムコーチが少ない慶應義塾では、学生スタッフが大きな役割を担う。だからこそ、中途半端な選択はできない。時間をかけて話し合い、選ぶ。
 主務の井植魁利、学生コーチの齋藤学、松村壇。4年生の彼らは、こうして選ばれた。

栗原徹監督は例える。

「生きていくために必要なもの…水と空気。それが、まさに彼らなんです」

 5月に起きた部内クラスターも、この3人が中心となって対応した。
 隔離先の手配、保健所との窓口、部内のルール制定。人が欠ける中、練習再開に向けて前線で動く彼らを見て、その存在の大きさを再認識したという。

 井植は兵庫・甲南中学でラグビーを始めた。サッカー、テニス、様々なスポーツを経験したが、長続きしない。そんな自分を変えたくて、中1でラグビーに飛び込んだ。
 一見クールに見える井植だが、ラグビーに対してはとてつもなく真摯で、熱い。当初36キロだった体を82キロまで大きくしたのも、ラグビーとの向き合い方の表れだろう。

 齋藤と松村は9歳の時、それぞれ世田谷ラグビースクール(以下、RS)、兵庫県R Sで楕円球と出会った。
 別々の場所でラグビーをしていた2人は、國學院久我山高校で同期となる。

 高3の花園、2人は怪我を抱えていた。松村は長く膝を痛めていたが、直前で完治。なんとか登録メンバーに食い込んだ。
 一方、齋藤は、メンバーに入ることができなかった。最後、怪我は治っていた。「2年生を連れていった方が、来年につながるから」。監督の言葉を、ただ受け入れるしかなかった。

 それぞれ、全く異なる道を歩んできた3人。縁が引き寄せたか、彼らは日吉に辿り着く。
 そして、選手としてラグビーを続ける。

 2年生の終わり。投票が迫ってくる。齋藤は考えていた。
 齋藤には、世田谷R Sで共にラグビーを始めた同期がいる。菅涼介、茗荷康平(ともに4年)の2人だ。スクラムハーフだった齋藤は、世田谷R Sで彼らとハーフ団を組んでいた。
 菅と茗荷は慶應普通部に進学。大学で再会を果たした。またハーフ団を組める、そう思っていた。

 自分が学生コーチ。思いたくないけれど、自分を推す声は多い。
 そんな中、彼の決意を固めたのは、この2人だった。

「彼らが結果的に、投票の時に僕に入れて。その時に涙を流しながら、『大学で一緒にできるって思っていたから、できなくなるのはすごく寂しい。だけど、ずっと頑張っているのを見てきたから』って言われて。自分のために涙を流してくれるって、そうないことだと思うので、不思議な感覚でした」

 松村にも葛藤があった。話し合いを進めると、候補者が絞られてくる。その中で、なんとなく覚悟は決まりつつあった。
 でも、できればやりたくない。プレーを続けることには、特別な思いがあった。

 松村の故郷は兵庫県神戸市。高校で久我山に進学したことで、実家を離れて下宿生活を送っていた。その時から、試合に出ることを家族への恩返しに、ラグビーを続けてきた。だからこそ、ひとつひとつのプレーにはいつも特別な思いが乗っていた。
 揺れる松村の背中を押したのは、その家族だった。

「家族は、自分の役割を全うしなさいと言ってくれました。3歳上に姉がいるのですが、姉も蹴球部のトレーナーをやっていて。それも大きかった」

 みんなが必要としてくれているなら、その立場でみんなと目標達成ができればいいかな。
 そうして決断に至った。

選手を盛り上げる松村。笛を吹いて、全体練習を動かす

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