【コラム】教えるプロは、学ぶプロ。
自分のことって、自分が一番見えづらい。
人を「競技」に置き換えても、一緒だ。
自分の競技の常識は、他競技で通用しないことがある。逆に、自競技の課題は他競技の課題につながることも。だからこそ、様々な競技の選手や指導者から他競技を学ぼう—―。そんな交流の場作りを、プロラグビーコーチの二ノ丸友幸さん(41)が進めている。
◆啓光学園中の門をくぐったのは、ラグビーを始めるためだった。今は、競技やスポーツの枠を越えて活躍
「学びがあれば、指導者が変わる。指導が変われば選手が幸せになれる」
そんな信念が根底にある。
競技ごとの閉鎖性が日本スポーツの課題と言われて久しい。その壁を取り払って、他競技から自分が変わるヒントをもらったり、自信を深めたりするきっかけになれば。二ノ丸さんがずっと温めていた考えを実践している。
コロナ下、直接会うのは難しいけど、オンラインでつながりやすくなった環境は生かせる。週末に音声SNS「クラブハウス」でさまざまな競技のコーチらと課題を話し合ったり、バレーボールの指導者が集まるオンライン講習会に参加したり。そうした情報を「#他競技から学ぼう」とつけて発信する。まだ大きなうねりにはなっていないけれど、じわじわと仲間を増やしている。
「自分で全部の競技を変えようとなんて大それたことを思っているわけじゃない。でも、他競技の人とつきあうとメリットばかり。知らないことを知るのは面白い。指導が変わるヒントをもらえる」
二ノ丸さんは異色の指導者だ。
ラグビー全国高校大会で常に上位に進む奈良の強豪、御所実高のコーチとして知られるが、それ以外の複数の学校でも定期的に指導している。ラグビーだけでなく、カーリングチーム「KiTカーリングクラブ」(北海道北見市)の指導を手がけているのもユニークな点だ。氷上の技術指導をするわけではない。チームビルディング、自発的な意見が出やすいミーティングの作り方、どうすれば仕事との両立がうまくいくか。そうした練習以外の日常について助言を送っている。
16年間にわたるクボタでのサラリーマン生活が基盤にある。
同志社大学卒業後に進んだカネカのラグビー部が1年目で廃部に。その後、クボタに誘われて面接を受けた時、二ノ丸さんはこう訴えたという。
「仕事で活躍できないなら、この面接で落としてください。もし私に内定を出すなら、きちんと仕事ができる部署に配属してほしい」。ラグビーと仕事の両立を希望したのだった。
最初の配属先は法務部。法律の知識は皆無だったから、一からビジネス法務を学んだ。事業における独占禁止法順守の社内研修などに力を注いだ。
東日本大震災の時は放射線対策の新プロジェクト立ち上げに奔走。その後、希望していた広告宣伝部へ。自社の商品をどう世の中に伝え、ブランディングしていくか。実社会を通してノウハウを学んだ。
2006年にアキレス腱のケガで引退し、中学1年から続いていた「ラグビー選手」の看板を下ろしていた。「(引退から)10年たったら会社を辞めよう」。悔しさの一方で、そんな将来像を頭に描いた。ラグビーのコーチ。そしてクボタに在籍するなかで面白さを感じた企業研修。この二つの道で独立しようと決めた。