【コラム】センバツがくれた贈り物
桜が咲いた。
春が来た。
新年度が始まった。
通勤中にスーツ姿の新社会人を見て、時の早さを感じる。
紆余曲折はあっても、日常が戻りつつあることを実感した。
ラグビーマガジンに配属されて1年が経った。
編集に携わったのは2020年4月25日発売の6月号から。表紙はリーチ マイケル選手だった。巻頭特集は「平和になったらラグビーやろうぜ」。試合のリポートが1ページもなかったのは、時の異常事態を物語る。
そこから1年が経った今、熊谷ラグビー場にいる。
2年ぶりに開催された全国高校選抜ラグビー大会を5日間、最後まで取材した。
1年前の春にはなかった光景が広がる。
新チームになって間もない高校生たちが元気はつらつとプレーしていた。
試合後、監督と選手たちは開催されたことへの感謝とともに、冬の花園に向けたこれからの抱負を口にする。5年ぶりに優勝を果たした東福岡の藤田雄一郎監督は「2021年度に向けていいスタートが切れました」と語って熊谷をあとにした。
先を見据えたコメントが自然と出てくるのを、どこか懐かしく感じた。1年前はそれまで目標としていた試合や大会が「当たり前にある」ではなくなっていたからだ。
そんな中で開かれた100回目の花園は卒業した3年生の大きな財産になった。同じように、この選抜大会も新3年生以下に多くのギフトをもたらした。
新3年生にとっては最初で最後のセンバツだった。天理の水流桜花主将(つる・おうか)もそれを強く意識した。
「僕たちは花園にも2年間出れてなかったので、今回が初めての全国で、最後の選抜。懸ける思いは強かったです。今年のチームで頑張って結果を残そうと」
天理は準々決勝で桐蔭学園に敗れたが、「とても貴重な経験になった。これからの成長の糧になる」と水流主将は沈むことなく前を向いた。早く天理に帰って練習してもっともっと強くなりたい。そんな気持ちが前面に出ていた。
流経大柏はその天理に2回戦で敗れる。県の新人戦や関東新人大会が中止となり、センバツが新チーム初の試合だった。それでも相亮太監督はそのことを言い訳にしない。試合後はやる気に満ち溢れていた。
「ここで戦えて良かったです。ああしたい、こうしたいというのがたくさん出てきた。やっと火が付きました」
センバツは選手と指導者の勝負スイッチをONにしてくれた。
天理と同じく昨季の花園を逃した大阪桐蔭も同じ思いだった。「自分たちの立ち位置が分からなかった」という綾部正史監督は「まずここ(ベスト4)まで来れたことは生徒たちの自信になると思います」と話した。
大阪桐蔭とともにベスト4入りの東海大仰星は、ここ2年達成できなかったベスト4の壁を乗り越えた。ようやく長いトンネルを抜け出した。
両校とも当然ベスト4がゴールではない。それでも、今後の成長の後押しになるのは間違いないはずだ。
それは出場校すべてに共通する。
22回目となった選抜大会は例年と異なる選考で32チームが出場した。
読谷、佐沼、開志国際、明和県央の4チームは初出場を飾る。なかでも沖縄県の読谷は全国大会自体が初めてだった。1回戦は茗溪学園に敗れ、全国のレベルを体感する。翌日のコンソレーションでは佐沼に勝利し、悲願の花園出場に向けて大きな一歩を踏み出した。
そんな矢先だった。佐沼に勝利した次の日の那覇空港で、「大事な話」が伝えられた。
監督の久場良文(くば・りょうぶん)先生が読谷高校を去る――。3月いっぱいでの異動が決まっていた。
『自分がいなくてもみんななら大丈夫。花園を目指して頑張って欲しい』
島袋世良主将ら部員たちは言葉が出なかった。
「全く知りませんでした。良文先生は僕が小学校高学年の時から読谷高校にいたので、勝手に3年生の時までずっといるんもんだと思ってました…」
沖縄県は赴任先で5年以上勤めると人事異動が珍しくなくなる。2016年から読谷にいた久場先生は、覚悟はしていた。新しい赴任先は県外交流制度で奈良の御所実業に決まった。2年間職員として働き、ラグビー部にも関わる。
3月31日には急遽、お別れ会を開いた。卒業した3年生も駆けつける。ラグビーボールにメッセージを添えて渡した。
久場先生は感極まってボロボロ泣いた。だから島袋主将はこれ以上泣かせまいと気遣って一言だけ伝える。「花園で会いましょう」。
そして昨季は2点差で名護に敗れ、惜しくも叶わなかった花園行きを改めて固く決意するのだ。
「花園に行くという目標だけではなくて、今度は良文先生に会うというのも目標に加わりましたから」
4月1日から心機一転、読谷では久場先生のいない練習が始まった。
「良文先生は多くを教えないで考えさせるのが指導方針。だからいい意味で捉えるなら先生に依存してなかった。寂しいと思わずにスタートしたい。割り切るのは難しいですけど、少しずつ前向いていこうと」
そんなことを伝えているうちに、久場先生は電話越しにまた涙を流していた。花園に一緒に行くことは叶わないけれど、センバツという全国の舞台に彼らは連れて行ってくれた。
「全国は行きたくても行ける舞台ではない。こんな経験は普通できないですよ。いろんなめぐりあわせと周りの人たちのたくさんの支えがあった。この子たちと出会えたことが本当に幸せです」
これもまたセンバツがくれた大きなギフトだった。