国内 2021.03.30

「家族のために」。弟の5年目デビュー戦に嬉し涙。サウマキ兄弟[キヤノン]

[ 編集部 ]
「家族のために」。弟の5年目デビュー戦に嬉し涙。サウマキ兄弟[キヤノン]
左端が弟・アマナキ。中央が兄・ホセア。右端が田村優主将。(撮影/松本かおり)
今季からFWでプレーするサウマキ アマナキ。190センチ、100キロの24歳。(撮影/松本かおり)

 嬉し涙。それは、周囲の人たちも幸せにしてくれる。
 3月27日だった。

 同日、秩父宮ラグビー場でおこなわれたトップリーグのキヤノン×リコーは面白い展開だった。ファイナルスコアは31-28。後半39分のSO田村優主将のPG成功により、赤いジャージーが勝利をつかんだ。

 試合が終わった瞬間だった。後半25分に登場し、トライを決めるなど効果的な活躍を見せたキヤノンのWTB、ホセア・サウマキが背番号19のもとに駆け寄った。
 抱き合う。ふたりで地面にひざまずき、神に祈る。この日を迎えられたことに感謝した。

 ふたりの目には嬉し涙があった。やがて田村主将も駆け寄り、兄弟を抱きかかえた。
 ホセアの弟、サウマキ アマナキ(以下、アマナキ)のトップリーグ初出場をチームのみんなが祝福した。
 入団5年目で迎えたデビュー戦だった。

 試合後、オンライン記者会見に出席した兄・ホセアは、勝利について「自分たちのスタイルを信じた結果」と話した後、弟とともにピッチに立った感激を口にした。
「ずっと持っていた夢のひとつでした。彼は成長し、信頼を得てフィールドに立てた。そこに私も一緒にいられて特別な日になった」
 試合前、「家族のためにプレーしよう」と弟に伝えた。

 ふたりは5歳違いの兄弟。
 ともにトンガの首都、ヌクアロファのあるトンガタプ島から300㌔弱離れた(飛行機で約45分)ヴァヴァウ島に生まれた。

 大東大入学時に来日した兄の方が日本での生活は長いけれど、キヤノンに加わったのは弟の方が1年先だ。
 ラグビーマガジンに載った兄のインタビュー記事を読んだ当時のイーグルスのスタッフが、楕円球を追う弟が故郷にいることを知り、南の島へ飛んだ。実力と人柄を確かめ、入団の話を持ちかけた。

 日本で活躍する兄に憧れていたアマナキは、同じようにラグビーで生きていくチャンスをいつも思い浮かべていた。その誘いがとても嬉しかった。
「チャンスは一度しかない、と思った」と、日本行きを決める。トゥポウ高の2年生だった。

 兄弟は幼い頃、学校を終えるといつも家の手伝いをしていた。上から「男男男男女男女女女」という9人兄妹の三男と五男。
 ふたりは、日本にいる自分たちで家族をサポートしようと誓い合って生きてきた。遠い場所に住んでいるけれど、故郷へ注ぐ愛情は大きい。

 デビュー戦となった対リコーの試合メンバーは、4日前の火曜日に発表された。そこにアマナキの名があった。
「とても嬉しかった。興奮しました。同時に緊張感も増しました」と本人が語る。
 試合前夜はリラックスできた。妻と子どもに電話をした。

 ピッチに立ったのは後半16分から(LO田中真一と交代し、スクラムでも4番に入った)。直前の心境を「とても緊張していましたが、楽しみで早く試合に出たかった」と振り返る。
「兄には、ハードにプレーして楽しめと言われました。チームメートは、リラックスして練習のようにやればいいと言ってくれた」
 プレーした24分間を回想し、「初キャップ。とても気持ち良かった」と話す。

 試合終了間際、3点のリードを守り切るため、チームはボールを保持し続けるプレーを選択した。
 田村主将がボールを蹴り出して試合を終わらせる直前、SH田中史朗からパスを受けて相手FWに体を当てたのがこの人だった。

「リコーは大きな選手がいて、外国出身選手も多い。とてもハードな試合でしたが、チームは、それに対してプランを立てていたので自信がありました」
 目立つプレーこそなかったが、忠実に動き続けた。

 高校時代もバックローだったが、キヤノンではWTB。ふたたびFWに戻ったのは今季、沢木敬介監督が就任してからだ。新指揮官は、「すぐに(適性を見て、ポジションを)変えました」と話す。
 期待を受け、本人も前向きに受け入れたから伸びた。「ボールに絡むことが好きなのでバックローへ移動して良かった」と笑う。

 デビュー戦を終えた後、監督が「もっともっと良くなりますよ」と話せば、佐々木隆道FWコーチも「彼の長所は下半身の強さから生み出されるパワーとスピード」と証言する。
 近い将来、日本を代表する選手へと成長する可能性も秘める。

「もっとプレーの機会を持ちたい。そして日本のためにプレーしたい」 
 まだ24歳。本人も上を見つめる。
 サウマキ家の新しい物語が始まった。

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