クラスター発生で受難も「ひたむきに」。天理大・藤原忍、初優勝王手までのドラマ。
大事な試合の4日前の練習で、足を痛めた。タッチラインの外へ出た。トレーナーと患部を伸ばす。
2020年12月29日、奈良県内にある天理大の白川グラウンドでのことだ。
「トレーナーの方にマッサージしてもらったり、(医療機器で)電気、超音波を当てたりしていました」
ラグビー部4年の藤原忍は、それでも、翌年1月2日のゲームに出た。
東京は秩父宮ラグビー場での大学選手権準決勝で、明大に41-15で勝った。顔をほころばせる。
「ちゃんと、治したんで」
身長170センチ、体重77キロ。大阪の茨田北中、石川の日本航空高校石川を経て天理大へ入り、攻撃の起点のSHで1年目からレギュラーを張った。テンポの速さに定評があり、20歳以下日本代表や若手の登竜門であるジュニア・ジャパンにも選ばれる。
ラストイヤーは先の見えない日々を過ごした。春先は新型コロナウイルスの影響により、対外試合がなくなり練習も制限された。本格的な全体練習がようやく本格化してきた8月上旬には、部内にクラスター(感染集団)が発生した。毎年恒例の夏合宿はもちろん中止となった。
陽性者は病院やホテルに隔離され、陰性者は一時解散。藤原は後者にあたったが、実家には戻らなかった。
「帰ってもよかったのですけど、自分がもし(ウイルスを)持っていたら親も仕事ができなくなるなど迷惑がかかるので」
滞在したのは、天理大が用意した個室である。「何もするなと言われても無理だったので」。予め購入していた、楕円を半分にした形状のシャドーボールを持って静かなグラウンドへ出た。1人でパス練習をした。
「いまはできていますけど、(当時は)ずっと練習できひんとも思っていて。いろいろ(な感情が)、混ざったっすね」
9月中旬のリスタート以降は、緊張感が帯びた。加盟する関西大学Aリーグは11月開幕と当初に比べ短縮化。10月に設定された交流試合を含めた、限られた実戦機会をフル活用しなくてはならなかった。
ただ、その緊張感がかえってよかったのだろう。藤原はこうだ。
「練習期間が短いことは皆、わかっている。ひとりひとりが変えなあかんという気持ちになっていた。だから試合で全部、出し切って、そこであかんかったことを練習で修正する…。少ない回数の試合のなかで、意思を持ってやれたと思います」
1戦ごとにどれだけ課題を抽出し、短期間で改善するかが鍵だ。当初は首尾よくつながらなかった攻撃も、時間を追うごとに滑らかになった。左右にパスを回せるようになった。
かくして、藤原がけがを乗り越えて出た大学選手権の準決勝では、関東大学対抗戦Aで2連覇の明大を圧倒できた。
「『(複数ある攻撃陣形のうち)これがだめやったら、あれをやろう』という切り替えもできるようになった。コール(プレー中の要求などの声)が多いのでやりやすい。だから(いまは)ミスをあんまりしないです」
関西大学Aリーグは5連覇中も、大学選手権では一昨季に準優勝、昨季に4強と頂点にわずかに届かず。今年のファイナルは11日、東京・国立競技場であり、昨季王者の早大が相手となる。藤原はこうだ。
「チャレンジャーという気持ちを忘れずひたむきに。あと、大舞台では皆、緊張すると思うので、そこは(自分を含めた経験者が)カバーしたいです」
歩んだ道を信じて挑む。