王国で「レフリー10年」の表彰うける。森園量さんの愉快な人生。
10年間ありがとう。
クライストチャーチ(ニュージーランド/以下、NZ)に暮らし、働きながら、カンタベリー州でレフリー活動を続けている森園量(もりぞの・りょう)さんがNZラグビー協会から10年表彰を受けた。
同国では毎年のシーズンの終わりに、レフリー活動にかかわった人たちを労う会が開かれる。そこで節目を迎えた人や同シーズン評価の高かった人たちが表彰される。現役として笛を吹いているレフリーだけでなく、レフリーコーチやレフリー組織(Canterbury Rugby Referees)に携わっている人たちが対象だ。
これは各州でおこなわれるもので、森園さんはカンタベリー協会が催したパーティーの中で表彰された(11月30日に開催。同州では5年ごとの表彰もおこなっている)。
本来は昨年が節目の年だったが、1年前は森園さんが日本に帰国し、地元・関西でレフリー活動を続けていたため表彰式に参加できなかった。そのため、1年遅れの表彰となった。
森園さんは現在、カンタベリー州のシニア1レフリー。U21(コルツプレミア)のクラブリーグ(メトロ地区)を中心に、様々なカテゴリーでレフリーを任されている。
「今回の表彰では、50年の表彰を受けた方もいらっしゃいました。私もなんとかここまでやってこられて嬉しいですね。これからも、上のレベルを目指すためにやるというより、1試合、1試合、ベストを尽くし、楽しみながら続けていきたいと思っています」
2020年シーズンも、子どもたちの試合も含めると30試合ほど笛を吹いた。芝の上を駆ける生活はまだまだ続きそうだ。
ラグビー王国でのレフリー生活が11年になった森園さんは、レフリー人生も11年で、ラグビーとの関わりも11年。すべてはクライストチャーチで始まった。
大阪生まれの42歳。日本ではラグビーをしたことがない。NZでのプレーヤーとしての時間も5分だけだ。
初めてNZに渡ったのは高校1年生の時。研修で2週間、クライストチャーチを訪れた。この国の虜になり、それ以降、学生時代に何度も留学。京産大卒業後もワーキングホリデービザで愛する国を再び訪れ、それ以降、さまざまな職に就いた。永住権も得て、輸入食品会社で働いた。
2006年に人生が変わった。NZ人の友人から、カンタベリー大学主催の草ラグビー大会に誘われる。試合の観戦経験しかなかった森園さんは、一度だけ練習に参加し、試合を迎える。
キックオフから約5分。パスを受けたかどうかの瞬間、猛タックルを受け、左足首を脱臼骨折する大怪我。ラグビー選手としては、それがすべて。まともに歩けるようになるまで半年かかった。
ある日、カンタベリー協会からダイレクトメールが届く。同協会のレフリー担当部署から、「レフリーやりませんか」とのメッセージがあった。
NZにはありがたい補償制度がある。国内で発生した事故に対し、国民だけでなく、国籍やビザを問わず、旅行者も含め誰に対してもサポートしてくれるものだ。
森園さんは、骨折した時にその制度を利用するための書類に、受傷理由を『ラグビー』と書いた。その情報をラグビー協会がつかみ、レフリーへの勧誘が届いた。本人は、運命のメールが届いた理由をそう考える。
◆これがNZラグビー協会から森園さんに贈られたものです