王国で「レフリー10年」の表彰うける。森園量さんの愉快な人生。
楕円球の国の追跡能力に驚きながらも、たった5分のラグビー経験だ。その誘いは放っておいた。
しかし、森園さんは4年が経った2010年、ほったらかしだった封筒に手を伸ばす。「クライストチャーチに住んで5、6年が経つのに、地元のコミュニティーに対して何も還元していないな」と感じたからだ。
みんなに喜んでもらえることはラグビー。そう考えた。
担当者にコンタクトをとると、「すぐに来なさい」。研修を2時間受け、レフリー用具一式をもらう。で、次の指令は「週末にも来なさい」。5分間プレーヤーが31歳にして、突然、初めてホイッスルを吹いた。
担当したU13の試合は、当然荒れに荒れた。選手のお父さん、お母さんたちから、めちゃくちゃ文句を言われたと笑う。ラグビー協会の人たちも、『もうアイツは来ないかもね』と話したそうだ。そんな話をのちに聞いた。
しかし本人は、「まあ慣れるだろう」と強かった。
毎週の割り当てにせっせと足を運び続け、ローブックをよく読み、レフリーたちのミーティング、勉強会に顔を出しているうちに、少しずつ進化する。試合中のヤジも気にならなくなっていった。
初年度のU13レベル担当から、毎年、U14-15、U16-18と、年を追うごとにプレーヤーの年齢が高くなっていく。やがてカンタベリー協会のレフリーアカデミー入り。若いメンバーの中で、自分だけ30歳半ばだった。
思いがけないスタートだった新たな人生も11年が経ち、充実している。
昨年の日本への帰国時には関西大学Aリーグの同志社大×関西学院大をはじめ、トップウエストの試合など、6試合でレフリーを担当。今年はコロナ禍で同様の機会は逃すも、NZと日本の両国で笛を吹く生活を続けている。
それぞれの国の違いも感じられて面白い。「日本では試合の数日前にチームから連絡が入り、ジャージーの色や、試合当日のタイムスケジュールの確認などおこなわれます。NZではそんなことはなく、試合の1時間ぐらい前にグラウンドに集まり、話し、試合が始まります。日本のしっかりしたとこ、NZでも採り入れてみてもいいかもしれませんね」と話す。
王国ならでは、の取り組みも面白い。
NZでは安全対策のため、マウスガードの着用を義務付けたがクラブレベルではなかなか徹底できない。そのため、試合中に未着用が発覚した選手にはペナルティが与えられ、2人目が見つかるとイエローカードを出す試みもあった。
それでも抑止力にならず、1人目発覚でイエローカード、2人目でレッドとするように変わっていったこともあったという。
ブルーカードはドクターがいない試合で、レフリーが脳震とうの可能性があると判断したら出すものだ。その選手には自動的に21日間(3週間)の出場停止措置がとられる。
海をまたいでレフリーとしての経験を積み重ねる森園さんは、「1年でも、1日でも長く、いまの生活を続けていきたい」と話し、NZで知ったこと、学んだことを日本に伝えていきたいし、日本のレフリーがNZで経験を積むことのサポートも続けていけたらと話す。
実際、現地での日本人レフリー関係者の仲間も数人に増えた。自分のような道を歩んできた者も仲間に入れてくれたNZラグビーのあたたかさに感謝しながら、楽しい日々をまだまだ謳歌する。