コラム 2020.05.13

ラグビー金言【10】いまもときどき、高校最後の試合の夢を見ます。

[ 編集部 ]
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ラグビー金言【10】いまもときどき、高校最後の試合の夢を見ます。



 手塚マキさんをご存知だろうか。
 現在42歳のその人は、埼玉県立川越高校ラグビー部出身。元カリスマホストで、40歳のときにはホストクラブ6軒、バー5軒にヘアサロンやネイルサロンを経営していた。

 歌舞伎町商店街振興組合常任理事も務める。「Smappa! Group」の会長でソムリエの資格を持ち、深夜に街頭清掃活動をおこなうボランティア団体「夜鳥の界」を仲間と立ち上げた。『裏・読書』などの著書もある。
 ラグビーマガジン2018年9月号の巻末インタビューに登場していただいた。

 手塚さんは楕円球を追っていた高校時代に生き方の原点があると話していた。
「人生哲学はズルをしない。経営も同じですね。ラグビーの魅力は、人生が詰まっているところ」
 15歳でラグビーと出会った。恩師・岡松哲監督は「学校にいるよりデモへ行け。本を読め。映画を見ろ。感性を磨け、品をつけろ」と、いつも言ってくれた。

 当時の川越高校ラグビー部には、独特のカルチャーがあった。
 トライスコアラーより、そこにつながるプレーをした選手を称える空気。タックラーは尊敬された。
 その空気は、手塚さんの人間形成と無縁ではない。

 高校卒業後一浪して大学に合格も、5月にはホストクラブで働き始め、学校には行かなくなった。周囲の大学生たちが子どもに感じられた。
 学校の代わりに社会で学ぼうと決めた。

【手塚マキさんの金言】

「いまもときどき、高校最後の試合の夢を見ます」

所属していた川越高校ラグビー部は「汗をかく人間を評価するチームでした」

 自分が売れた理由を「当たり前のことを普通にやったから」と言う。
「例えば遅刻をしない。ルールを守る。きちんとお客さんの話を聞く。それだけで、だらしないやつとは差がつく。異常な世界で普通にすると、異端になれた。チームの一員として目を配り、いま自分がどのテーブルにいればいいか、何を喋ればいいか、そういったことを考えていました」

「たいしたことのない自分でも受け入れ、成功させてくれたのが歌舞伎町でした。だから、自分がいろんな連中と生きていくなら、やっぱりこの街だった。歌舞伎町は、昔のラグビー部みたい。僕のようなガリガリも、チビでも誰でも受け入れてくれる。ここで生きる覚悟を決めたら、街のことが気にかかるし、暮らす人たちと関わりもできた」


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