【コラム】入り口の、その先を。
地元の商店街には、トンプソンが跳び上がってボールをつかむノボリが並んでいる。オールブラックスの屈強の男たちはクールな広告になって新宿駅や表参道の街並みを彩っている。小田急線にはワラビーズ。名古屋で発行された朝日新聞は19日朝刊一面にジョージア代表のウェルカムセレモニーを掲載した。レッドドラゴンに燃える北九州の光景はタイムラインで繰り返し流されている。日曜夜は、我らがジャパンの元キャプテンがドラマの中で主役級の存在感を示してくれた。
僕が生きる世界のあらゆる場所にいま、ラグビーがあふれている。テレビやスマホ、電車で隣り合った人たちの日常会話、初めて歩く町中にも「楕円球」が飛び交っている。今までになかったことだ。W杯(ワールドカップ)はさまざまな人々を巻き込み、とてつもない大きな渦を作るのだなとつくづく実感する。
4年前、新国立競技場の建設計画が白紙撤回となり、W杯で使うことができなくなった。背景には、醜い政治の争いもあった。ワールドラグビーは深刻な懸念を表明し、強豪国から日本開催を反対する声も出始めた。危機を救ったのは、日本代表チームだった。彼らは粘り強く、勇敢に戦った。W杯という舞台で、南アフリカを、サモアを、アメリカを倒した。当時のワールドラグビー会長、バーナード・ラパセは「南ア戦の結果を見て、(ワールドラグビー理事の)全員が日本開催を支持してくれるだろう」と語った。
おかげで、この競技の「入り口」はいま、国内のいたる場所に広がっている。ラグビーに関係するさまざまな人たちが、W杯を盛り上げようと、小さくない障壁を乗り越えて築き上げてくれた、大切な入り口だ。
だからこそ、僕は入り口から飛び込んでくれた人たちのその先を考えたい。どうやったらラグビーが多くの人の生活の一部になるのか。