【ラグリパWest】岡山から全国区へ。 創志学園
創部10年目で初の中国大会に出場する。
岡山にある創志学園だ。
主将の木下虎一(こいち)は腕ぶす。
「優勝争いができるように頑張りたいです。それができればみんな自信がつくし、秋の全国大会予選につながります」
169センチ、84キロのナンバーエイトは、細い目を光らせる。地元出身。中学では柔道をやり、初段をとった。どんぐりのように実の詰まった体は突破力に富む。
5校参加の県春季大会では、準決勝で倉敷工を28−14。全国大会5回出場の「クラコー」にダブルスコアで勝った。
決勝の玉島にこそ12−36と差をつけられたが、岡山2位の座を確保する。
武田裕之は28人の部員たち(3年=8、2年=13、1年=7)をねぎらう。
「よくやってくれました」
ラグビー部監督は52歳。保健・体育教員でもある。
その学校創立は1884年。名称や経営母体の変遷があり、2010年から学校法人「創志学園」が運営を担う。全日制共学。普通、看護の2科制をとる。キャンパスはJR岡山駅から徒歩15分ほど。市内北区にある。
法人は系列校となるIPU・環太平洋大やクラーク記念国際高などの運営も手掛ける。
ラグビー部は開学と同時に作られた。2年後の2012年に武田が赴任する。母校でもある天理高では監督などをつとめた。
現役時代はフッカー。高2の63回大会(1983年度)では全国優勝を果たす。大分舞鶴を18−16で振り切った。
天理大に進み、教員免許を取得。就職はNTTを選ぶ。トップリーグチームのドコモの前身となる大阪や関西でプレーを続けた。
引退後は社業に専念。東京で勤務するが、コーチとして天理高に呼び戻される。
84回大会(2004年度)の準優勝は、武田の力によるところが大きい。
4連覇する啓光学園(現常翔啓光)に14−31で敗れたが、飛び出しと流しを組み合わせた守備システムを機能させた。当時のビッグタックルの中心は八役大治。専修大からトヨタ自動車に進むセンターだった。
天理は全国優勝6回、歴代4位の記録を持つが、決勝進出はこれが最後になっている。
翌年度、監督に就任し、チームを3大会連続で花園に導く。その間、1年生から公式戦に出続けたのは立川理道(クボタ)。日本代表キャップ55を持つスタンドオフのユース時代の成長に関わる。
「今でも忘れずに連絡をくれたり、ハルは優しい教え子です」
立川が3年の87回大会は8強敗退。長崎北陽台に10−14で敗れた。