コラム 2025.08.07

【ラグリパWest】成長のための東上。三竹康太 [リコーブラックラムズ東京/PR]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】成長のための東上。三竹康太 [リコーブラックラムズ東京/PR]
三竹康太は花園近鉄ライナーズからリコーブラックラムズ東京に移籍した。生まれ育った安住の地、関西を離れ、右PRのポジション争いに加わる。すべては選手としてさらなる成長をするためだ

 三竹康太は安住の地を離れた。

 生まれ育った関西から関東に移る。29歳にして初めてのことだった。花園近鉄ライナーズ(花園L)からリコーブラックラムズ東京(BR東京)に移籍した。

 いわゆる<タフ・チョイス>をする。
「居心地が良すぎると、人としての成長が止まってしまいます」
 切れ長の目は、日焼けしたこげ茶色の顔の中で輝きを帯びる。

 その言葉はFWコーチだったトウタイ・ケフからも教わった。ケフも花園Lから1季で釜石SWのヘッドコーチ(監督)として移籍する。現役時代は破壊力のあるNO8として、オーストラリア代表キャップ60を得た。

 三竹は言う。
「近鉄も、人も、土地柄も好きです」
 そのチームで昨季、プロ選手として個人的な敗北を味わった。

 右PRとして、最終的に首脳陣の評価をつかんだのはラタ・タンギマナだった。
「スクラムがそう変わらないなら、フィールドプレーのいい方を使います」
 三竹は昨季、入替戦を含め14試合中9試合に出場した。先発は4、入替は5。そのサイズは175センチ、110キロである。

 2番手としても安穏に生きられる。精進次第で逆転もできる。ただ、その努力は甘えが通用しない新天地でこそふさわしい。三竹はそう思う。戦いの場はディビジョンの2から1に上がる。二部から一部。環境も変わり、強度も高くなる。それは覚悟の上だ。

 BR東京は三竹に最初に声をかけてくれた。 花園Lとは定期戦を組む間柄だ。BR東京は昨季、リーグ戦7位。上位6チームに与えられるプレーオフ進出を逃した。三竹には新たな起爆剤としての役割がある。

 その日本の黒衣軍団の右PRは昨季、ほぼ3人で回した。オーストラリア代表キャップ3を持つパディー・ライアン、大山祥平、笹川大五である。3人ともに身長は186センチ以上。三竹は10センチほど低い。

 その身長差を逆手にとって、三竹は下から突き上げる低いスクラムを考える。そのため、股関節や肩甲骨の柔軟性を高める。スクラムの姿勢を作ってのカニ歩き、前かがみになって両腕に重りを持ち、上げ下げをする。

「肩甲骨の可動域が広がれば、腕から胸にかけて全体で相手を押さえ込むことができます。手だけの絞りだと点だけになってしまいます」
 股関節が柔らかくなれば、両足が開いても崩れにくくなり、より沈み込める。得意な体勢でスクラムを組めることになる。

 チーム練習には移籍公式発表の先月17日ごろから参加している。若手中心である。
「年齢的には出なくてよかったのですが、早くチームになじみたいと思いました」
 溶け込もうという姿勢がある。

 三竹がプロとしての道を歩む競技を始めたのは小学校の5年生だった。大阪工業大学ラグビースクールに入る。
「サッカーのリフティングは3回しかできず、向いていなかった。体は大きかったのです」
 中学は今市。大阪市の旭区にある。大阪選抜に入り、大阪桐蔭に誘われる。

 大阪桐蔭は3年間、冬の全国大会に出場したが、三竹がレギュラーになったのは最終学年。ひとつ上にトヨタVに入る垣本竜哉がいた。3年時は94回大会(2014年度)。3回戦で國學院久我山に15-17で敗れた。

 高校在学中は同期のSOだった中山敦喜に鍛えられた。
「もっとできんのに、なんでやらへんねん」
 三竹自身は走っているつもりだったが、はたから見れば余力残しに映った。
「僕のメンタルを再構築してくれました」
 三竹には感謝がある。中山は大体大を卒業後、大阪の中学で教員をしている。

 大学は立命館。ここも誘われた。その4年間はケガに苦しんだ。1、2年は腰のヘルニア。手術をする。3年は左手甲を3回骨折した。
「伊勢神宮にお祓いに行きました」
 4年時は関西2位に入るも、大学選手権は初戦の3回戦で負けた。55回大会(2018年度)は優勝する明治に19-50だった。

 近鉄入りはその4年晩秋に決まる。移籍者が出て、右PRが手薄になった。三竹は高校日本代表と若手の日本代表であるジュニア・ジャパンの肩書を持っていた。当初は就職留年の形で強豪に進む青写真を描いていた。

 社員選手の枠はすでに埋まっていたため、1年目はプロ、2年目から近鉄グループホールディングスの総合職になった。総合職は中核の近畿日本鉄道を含めグループ250社以上を統率する社長になれる資格を有する。

 4年ほど勤め、昨年7月からプロに戻った。前GMの飯泉景弘らチーム首脳は止めた。安泰を放擲(ほうてき)することになる。
「ラグビーで入ったのに、働くことは自分の中で本当にやりたいことなのか」
 自問自答を数えきれないくらい繰り返した。

 そして、選んだ上京への道。今は家族3人、妻のえみ子と1歳の男児と「グラウンドから自転車で10分ほど」の場所に住まう。首都・東京の印象を言葉にする。
「なんでもそろっていますね。バスも電車もすぐに来ます」
 人の多さにも慣れつつある。

 妻は関西を代表する大手企業に勤めており、来年3月で育児休暇が切れる。それも三竹にとっては承知の上だ。人がうらやむ総合職を投げ打ち、安住の地を離れた。そして、いずれは単身赴任となり、家族のため、ひとりで戦ってゆくことになる。

 それらのことすべてをラグビーに集中する動機としてゆきたい。
「目標は短期ではスタートで出ること。長期はプレーオフ進出に貢献することです」
 背負っているものが多く、重いほど、自分は磨かれ、高められる。

 よきチャレンジの旅を。

PICK UP