日本代表 2025.07.10

U20で得た自信。太田啓嵩[近大2年/U20日本代表]

[ 明石尚之 ]
U20で得た自信。太田啓嵩[近大2年/U20日本代表]
183センチ、83キロの太田啓嵩。近大の2年生(撮影:高山展誉)

 U20日本代表の大久保直弥HCをして、「誰が見てもジャパンになる素質がある」と言わしめる。

 太田啓嵩(おおた・けいしゅう)。

 近畿大学の2年生だ。

 そのポテンシャルを、最初に披露したのは5月16日。
 U20日本代表としてニュージーランド学生代表(NZU)と対戦、14番で先発して2トライを挙げた。

 前半9分の先制トライは、バウンドした味方のロングパスを右タッチライン際で捕球、すぐさま奥へと蹴り込み自ら押さえた。

 前半終了間際の2トライ目は、切れ味鋭いステップ一発で相手を置き去りに。
 52-45での勝利に貢献した。

 ファーストトライに繋がった裏へのキックは「自分の武器」としながら、手柄にはしない。

「(BKコーチの永山)淳さんから、NZUのWTBは上がりが早いので(裏のスペースが)空いているという分析をもらっていました。2トライ目も(佐藤)楓斗が良いボールを回してくれたので、自分は走るだけでした」

 6月22日の関西大学春季トーナメント3位決定戦でも、キレキレのランを連発し3トライを奪う。
 後半8分のトライは約80メートルを独走した。タックルを受けながら絶妙なボディバランスで倒れず、そのまま走り切った。

 U20の活動を経て、「思いっきりいけるようになりました」と話す。
 1年時は春に肩を脱臼、秋に復帰するも思うようなパフォーマンスを残せなかった。

「U20でやれるのか不安でしたが、自信に繋がりました」

 広島県出身。183センチ、83キロと線は細いが、簡単に倒れない粘り腰はレスリングで身についた。

 レスリングの国体選手だった父の影響で、幼稚園児の頃から広島レスリングクラブに入団。
 1984年ロサンゼルス、1988年ソウルとオリンピックに2度出場した向井孝博コーチのもと、週4回のトレーニングでめきめき力を伸ばした。
 小学3年時には全国大会(26キロ級)で優勝したこともある。

 大阪に引っ越した4年時からもレスリングに打ち込むつもりだったが、「チームが弱くてやりがいながなくて…」。
 一方で、堺ラグビースクールはさすがラグビーどころ大阪、レベルが高く刺激的だった。

 ただ、中学に上がるとバスケに熱中する。ラグビースクールには籍を置きながら練習に参加しない日々が続いた。

 再びラグビーの世界に戻ったのは、報徳学園の試合観戦がきっかけだった。
 スクールの同級生だった福本耀に誘われる。U20でWTBのコンビを組んだ”相棒”と、同校への進学を決めた。

 2年時にチームは花園で初の決勝進出を果たした(準優勝)。
 太田はメンバー入りの当落線上で、花園の初戦(2回戦)以降はベンチで見守った。

「悔しい思いをしましたが、ジンゴくんたちが声をかけてくれて色々学べました」

 ジンゴとは明大3年の竹之下仁吾。この春に日本代表に選ばれたFBだ。

 高校、大学の先輩で同じく代表入りのウィンガー、植田和磨も目標とする選手の一人。
 近大の神本健司監督いわく「報徳学園では植田よりも評価が高かったそうです」。

 レスリングに限らず、体操や水泳など複数のスポーツで培われた身体能力の高さは一級品だ。

「身長もあってスピードがあります。良いボールが来れば、持ち味が出ます」

 ただ、指揮官は「褒めることはあまりしない」という。
 ポテンシャルの高さを期待しているからこそ、あえて厳しい言葉で伝える。

「甘やかしてはいけないので(笑)。植田はストイックにやり続けて代表にまでいきました。そういう意味で(太田は)まだ足りません」

 自他共に認める課題は明確にフィジカル。苦手な増量にも励む。

「ご飯があまり食べれなくて…。回数を増やしたり、夜食を食べたりして、なんとか増やしています」

 勝負の秋でもトライを量産したい。

1本目のトライについて、「(CTB西)柊太郎さんが外に振ると言ってくれていたので勝負しました」(撮影:早浪章弘)

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