22年目の友愛。福岡でラグビー日韓交流試合を開催。
7月6日、福岡市のJAPAN BASEで第15回ラグビー日韓交流試合がおこなわれた。
九州電力ラグビー部OBチームと釜山大学ラグビー部OBチームが1年ぶりに再会。午前中から30度を超す酷暑の中、OB同士の親睦と隣国の友との交流を深めた。
20分ハーフでおこなわれた交流試合は例年通り白熱した展開で、観客を大いに楽しませた。
試合は33-21で九州電力OBチームが勝利。対戦成績を九州電力OBチーム5勝、釜山大学OBチーム10勝とした。
2003年2月におこなわれた第1回大会は、福岡と釜山の間に浮かぶ長崎県対馬の厳原町で開催された。
その頃は対馬やまねこクラブと釜山大学ラグビー部OBチームの対戦だった。
対馬やまねこクラブは、元九州電力ラグビー部監督で対馬営業所長だった白石栄一氏が立ち上げたクラブだ。社員や地元の公務員、自衛隊員たちを広く募って誕生した。
当時は九電ラグビー部OBチームとの試合が主だったが、他の対戦相手も探し始めたときにちょうど韓国との交流を模索していた町からの要請があった。「ラグビーによる交流ができないか」と釜山の知人に相談すると、釜山大学ラグビー部OBチームを紹介され、この「ラグビー日韓交流試合」が始まったのだ。
はじめは対馬やまねこクラブと九電ラグビー部OBの合同チームで試合に臨んでいたが、次第に対馬のメンバーも少なくなり現在のような形で継続されてきた。これまでに対馬で3回、釜山6回、福岡6回と持ち回りで開催されている。
過去にはコカ・コーラやサニックスのOBが助っ人として参加したこともある。
行政や企業主導ではなく、草の根的な市民同士の国際交流は基本的に自助努力によっておこなわれてきた。ホストチームが訪問側の滞在期間をサポートする。
継続することは、容易ではない。
釜山中区にある対馬釜山事務所(正式名称:一般財団法人対馬市国際交流協会の釜山事務所)の金京一(キム キョンイル)副所長は、2003年の第1回大会から現在まで両チームを仲介する役割を担ってきた。
「対馬での第1回交流戦は、行きも帰りも海が大荒れで大会3日間ずっと船酔いしているようでした。そんな中、釜山チームは試合前日にお酒を飲みすぎて大敗(29-0で九電OBチームの勝利)。第2回はその反省から奮闘したようでした(22-0で釜山大OBチームの勝利)」と当時を懐かしむ。
金副所長は、この交流戦に携わらなければラグビーを見る機会もなかったという。純粋にかっこいいスポーツと感じ、「雨の日の試合やスクラムを組む姿が特に好き」と表情を崩す。
第1回大会は釜山大学のラグビー部に所属していたソン ヒョンソッさんも、毎年この交流戦を楽しみにしているという。
「日本と比べて学校の部活動自体が活発ではない韓国の中でも、ラグビーはマイナースポーツでチーム数が特に少ない。釜山大学ラグビー部は全員が大学からラグビーを始めます。それでも、卒業後もOBチームに所属しながらラグビーを続ける文化ができています」
部員のほとんどが兵役を終えた20歳前後からラグビーを始める。自発的に取り組むからこそ楽しく続けられるという。
ただ国内でできる試合数は限られているから、九州電力OBチームとの交流戦は貴重な試合であり、学びの機会なのだ。
メンバーのほとんどが小中高の体育教員であるため、ネットワークも強い。
「みんな、ほんとにラグビーが好きなんだと思います」
金さんも、ソンさんも、20年に渡って交流戦が続いている理由をそう語った。
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九州電力ラグビー部は1951年に創部された。2年目の1953年度シーズンでは第6回全国社会人大会に初出場、初優勝を果たす。
現在は九州電力キューデンヴォルテクスと名を変え、リーグワンのディビジョン2に所属している。
言わずと知れた九州を代表する社会人ラグビーチームだ。
九州電力ラグビー部のOB会は、現役選手サポートしながらOB同士の交流を続けてきた。
海外のチームと現在に至るまで交流戦を続けているチームは、国内でも珍しいと関係者は話す。
15回という節目を迎える今大会からは、新しい取り組みも始まった。
本社九州電力株式会社、そして韓国でも事業を展開する九州旅客鉄道株式会社(JR九州)、西日本鉄道株式会社の3社から協賛を得ることができたのだ。
公益財団法人西日本シティ財団の助成も得られた。
現役の選手、スタッフたちも、チームの連絡網で日頃からサポートを受けているOBたちの試合観戦を呼びかけるメッセージを流した。
交流戦の夜には博多駅付近のカフェに場所を移し、懇親会がおこなわれた。
ビールを片手に話も盛り上がる。
九電OBチームでキャプテンを務めた川嵜拓生さんは、釜山大学OBチームのキム ヒョンソップ主将に「みなさん、試合を楽しめましたか?」と問いかけていた。
ホストとして、対戦相手に楽しんで帰ってもらいたい。そんな優しい心配りが目に映った。
最後にはエールの交換がおこなわれ、両チームの部歌が博多の街に鳴り響く。
歌詞の意味や言葉が通じなくても、思いは伝わる。
草の根的なラグビー日韓交流は、玄界灘に打ち寄せる波のようにこれからも続いてゆくだろう。ラグビーと友への思いを育みながら。