元日の涙。日吉健[京産大/FL]
京産大の日吉健には、明確な分岐点がある。
1月1日だった。
大学選手権の準決勝、早稲田戦を、翌日に控えていた。
日吉は2年生になった昨秋の開幕戦で、リザーブから公式戦デビューを飾った。3節まで控えに入る。しかし、そこから膝を負傷。終盤に復帰したが、メンバーに返り咲くことはできなかった。
「Aチームは軽いメニューで出発の準備をしていたのですが、それ以外のメンバーはグラウンドに残って田倉(政彦)さんのスクラムメニューをやりました。それがあまりにも悔しくて…」
練習後、仲間が続々と寮に戻るなか、ひとりグラウンドの隅で涙した。
「元日に何やってんねやろって。もうこんな思いは二度としたくなかった」
その気持ちを持ち続けて、今季の活躍がある。春から全試合に先発中だ。ケガ人が出れば、LOもこなした。
「いまは充実している」と相好を崩す。
努力を惜しまなかった。
「皓正さんにずっとついていきました」
三木皓正は今季のキャプテンだ。同じフランカーを主戦場とし、猛タックラーとして知られる。
日吉はそんな男に弟子入りした。練習後には決まって、タックルやブレイクダウンの個人練を三木と毎日続けた。聞けばなんでもアドバイスをくれた。
「聞いても意味が分からないこともあります(笑)。でも高校の時からずっとこの練習を続けてきたから今があると言っていた。だから、体に染み込ませるしかないと考えます」
三木も日吉の成長を喜ぶ。フランカーとしての矜持を伝えていたそうだ。
「今回のW杯でも、両フランカーが良いチームは強かった。バックローがチームの要なんだぞ、というのは(NO8の)テビタやポルテレにも話しています」
日吉は肉体改造も施す。ウエートトレで1学年下のLO、ソロモネ・フナキとペアを組んだ。
「ソロはアサさん(アサエリ・ラウシー/現・BL東京)とずっとペアでやっていて。このレベルでやっていたらそりゃ強くなるわ、と思うくらいのレベルでした。自分も同じようにやって、ウエートの質や内容が全然違うものになったと思います」
強みのハードワークに、前で止められるパワーが加わった。フランカーとして注力するのは、「一つの仕事で終わらないこと。タックルしてすぐに起き上がってファイトするところまで、です」。
それを可能とするフィットネスは、大産大附に通った高3時に培われた。コロナ禍真っ只中だった。
「高2で肩を手術して、復帰した3月にちょうどコロナが流行った。みんなは部活を休めると喜んだかもしれないけど、僕はそれまで休んでいた分、とにかく練習したかった。寝屋川の河川敷を毎日走っていました」
試合を重ねるにつれ、存在感は増すばかりだ。相手をゲインラインよりも前で止め、ターオーバーの起点になる。
しかし、本人の肌感覚は「まだ足りない」。「京産大のフランカー」を背負うのは、そう簡単ではないということだ。
「僕も積極的に前に出ているつもりですが、皓正さんに取られるというか、横からズバッと入られる。でも、それがフランカーの仕事。福西さん(隼杜・前主将/現神戸S・FL)もそういうことができる方でした。京産のフランカーはそうでなければいけないという使命感があります。まだまだ追いついてない」
リスペクトは尽きない。
「練習が終わって寮に戻ると、ジムには必ず2人がいました。もはや住んでるのではないかと思うくらい。あのレベルの人が練習終わりにこんなにやってるのに、俺がやらないわけにはいかないなと」
12月2日の天理大戦でも、背番号「6」をつける。勝った方が関西優勝を手にする大一番で、キャプテン以上に体を張る。