【コラム】ラグビーの未来。
「ラグビーは世界最強のスポーツだ」
ラグビーワールドカップ、フランス大会決勝から1か月。今回の大会では、その考えが確信に変わった。
陸上十種競技を戦うスーパーアスリートに、マラソン選手、格闘技の達人と、ボールゲームのマエストロを併せた超人が、厳格な規律と、緻密な戦略の基に15人が一体となって戦う、類まれなスポーツである。
決勝は、南アフリカ×ニュージーランド。まさに世界一を競うにふさわしい戦いだった。
NZのケイン主将が前半で退場となったが、この厳しい判定にも動揺の素振りも見せず、それでも南アフリカと互角に戦うNZの14人の強固な意志、王者同士の、最後まで1点を争う攻防は見応えがあった。
両者鉄壁のディフェンス。全員でフィールド全体の、ゴールラインを死守する、全員でチームの穴を埋める強固な総意。
微動だにしない16人の鉄のスクラムに、ラグビーの醍醐味、神髄が伝わってきた。
彼らはこの決戦を迎えるまでに、何度命を懸けて戦ってきたのだろうか。全身の全細胞を、どれだけ駆使して、持てる力の限界を突破していったのだろうか。
その命を賭けた戦いの1週間後に、また次の戦いがやって来る。登録メンバー33人の戦いであるにしても、この短期間に7試合を戦った彼らにしか分からない、選ばれし超人たちの舞台、頂点まで勝ち進むことの重さに敬意を表したい。
そしてノーサイドの瞬間、このワールドカップの、有終の美を飾るにふさわしい、最も美しいシーンがテレビに映し出された。
南アフリカのコリシ主将が、シンビンでゲームを見ることもできずに顔をジャージで覆っていたコルビに走り寄り、コルビの辛かった気持ちを吸い取るように、強く、そして長く長く抱きしめていた。
テレビでそのシーンを見た世界中のラグビーファンは、一様に皆、コリシに熱く抱きしめられていた感覚を味わっていたのではないだろうか。
そして「ラグビーっていいもんだなあ」と、世界中が、心の底から痺れた、幸せな時間を共有した。
僕もまるでコルビになったようにテレビの前で正座して、限りない傷心と、薄氷を踏む勝利への不安と安堵、そして最後はコリシ主将の大きな愛に、強く抱きしめられていた。
準々決勝から3試合、1点差のゲームを勝ち抜いてきたチームの、最も神経をすり減らしてきたコリシ主将が、自分の責任でチームが負けるかもしれない傷心のコルビの気持ちを、誰よりも分かっていて、あの激闘を終え、真っ先に駆け寄って抱きしめてあげる。
最も強固なチームスポーツの結束。ラグビーの素晴らしさ、奥深さが世界中に伝わった瞬間だった。
やはりラグビーというスポーツは、勝ち負けを超える強烈な何かが存在する。
痛い、キツイ、汚いを代表するスポーツ、ラグビーは、現代人には向かないのかもしれない。日本のラグビー人口は減少の一途を辿っている。
しかし、ラグビーが人間を人間らしく芯の通った生命に成長させるスポーツであることは間違いない。
それは今の、現代社会が証明している。世界中にどれだけのラグビーマンが、社会の中枢に就き、重要な立場で、自己犠牲を伴いながら、より良い社会のために貢献しているだろうか。
ラグビーに身を投じた人間は、自分だけが良ければいい、という思考にはならない。
人のために尽くし、人の気持ちが分からなければ、人の上に立つことはできない。部下を思う、思いやりがなければ人はついてこない。
私の恩師、大西鐵之祐先生は、晩年このような言葉を残されている。
「ラグビーの教育上の目標は、フェアプレーの精神に基づく高潔なる品性を陶冶するにある」
「ラグビーをやることによって、人がこうしたものを把握したとするなら、ラグビーは、その人の人生と幸福に大きく貢献したものと言えるであろう」
ラグビーは、今、混迷の時代だからこそ、求められるスポーツであるはずだ。
【著者プロフィール】
渡邊 隆[1981年度 早大4年/FL]
わたなべ・たかし◎1957年6月14日、福島県生まれ。安達高→早大。171㌢、76㌔(大学4年時)。早大ラグビー部1981年度FL。中学相撲全国大会準優勝、高校時代は陸上部。2浪後に大学入学、ラグビーを始める。大西鐵之祐監督の目に止まり、4年時にレギュラーを勝ち取る。1982年全早稲田英仏遠征メンバー。現在は株式会社糀屋(空の庭)CEO。愛称は「ドス」