コラム 2023.10.13

【ラグリパWest】目標はディビジョン1。高野一成 [レッドハリケーンズ大阪/GM] Vol.2

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】目標はディビジョン1。高野一成 [レッドハリケーンズ大阪/GM] Vol.2
レッドハリケーンズ大阪の高野一成GMは京産大でSHとして4年間、大学選手権に出場した。写真は2年時の29回大会。この時は初戦で早大と戦い、12−25で敗北した。会場は花園ラグビー場。写真右にはSOとして1年から出場した廣瀬佳司現監督も映り込んでいる。両チームはセカンドジャージーを着用。京産大は赤
大阪工大高(現・常翔学園)では最終学年の3年でレギュラーをつかむ。写真は70回全国大会の熊谷工戦から。水色ジャージーには10−16で敗れ、準決勝敗退となる



 高野一成が新潟から呼び戻され、レッドハリケーンズ大阪のGMについたのは、昨年7月だった。そして、12月から始まるリーグワンで現場トップとして2季目を迎える。

 人生の大部分を占めるラグビーを始めたのは中学入学と同時だった。大阪市立の菫(すみれ)である。
「学校のグラウンドで試合をしている先輩たちがかっこよく見えました」
 学校は大阪の下町の城東区にある。情があるこの地域に高野は今も住む。

 中学時代は俊敏さで市選抜に選ばれる。そして、全国優勝2回(当時)の大阪工大高(現・常翔学園)から誘いがかかる。

 1年時はメンバー外だったが、チームは全国優勝を果たす。68回大会(1988年度)だった。決勝戦はない。昭和天皇が崩御したためである。茗溪学園と両校優勝になった。

 この高校でラグビーを通して、高野は礼儀作法を学ぶ。街中でも上級生に会えば、「おー」と大声であいさつをしないといけなかった。
「周りの人がびっくりしていました」
 部長の荒川博司は常翔学園に至る原型を作る中で、厳格さを残した。それはまた、今の高野の礼儀正しさにつながっている。

 2年時にはリザーブになる。正SHはひとつ上の大原勝治。大原はトヨタ自動車(現トヨタV)で日本代表キャップ6を得る。CTBは元木由記雄だった。元木は明大から神戸製鋼(現・神戸S)に進み、タテへの破壊力で日本代表キャップを79に積み上げた。今は京産大のGMである。高野の母校だ。

 そのメンバーをしても、全国大会には出場できなかった。府予選の4回戦で啓光学園(現・常翔啓光)に12−16と苦杯をなめた。両校が4回戦で対戦した理由は大阪工大高のシード漏れ。春季大会の準決勝で淀川工(現・淀川工科)に12−15と不覚をとった。

 この啓光学園戦は「全国大会の決勝レベル」と言われ、今も語り草になっている。大阪城の堀を埋め立てたグラウンドで開催され、周囲に幾重にも人垣ができた。石垣の上からも観客が鈴なりだった。この激戦を制した啓光学園は初めて全国大会決勝に進出し、天理に4−14で敗れることになる。

 高3時は正SHになった。全国大会は70回。頂点には一歩及ばず4強敗退。優勝する熊谷工に10−16だった。この最終学年で、高野は高校日本代表候補に選ばれる。正代表は鬼束(おにつか)竜太と西田英樹。鬼束は今、立命大のヘッドコーチをつとめている。

 進路は京産大に定める。
「チームメイトの小野や三邑(みむら)が行くなら、って感じでした。特に小野はついてゆきたいと思わせる魅力がありました」
 NO8の小野努、PRの三邑明はともに高校日本代表。小野は180センチ強の長身、細い目が坂本竜馬をほうふつとさせ、ロン毛をなびかせて、京産大でも主将になった。

 高野は2年からレギュラーになる。思い出多いのは4強入りした3年の大学選手権。30回大会(1993年度)だった。
「メンバーは揃っていました。1つ上は明さん、1つ下は廣瀬でした」
 吉田明は主将CTB、廣瀬佳司はSO。吉田は神戸製鋼、廣瀬はトヨタ自動車に入った。日本代表キャップは17と40。廣瀬は京産大の現監督である。

 2回戦は早大と福岡・平和台で戦う。
「アップの時は晴れていたのに、急に雨が降り、風が吹き、嵐になりました」
 ボールは滑り、展開は難しい。FWに自信を持つ京産大が有利になった。この試合中、廣瀬とのやり取りが心に残る。

「彼は雨で手袋をしていました。僕の浮いたパスを捕り損ねた。『そんなんつけてるから落とすんや』と怒鳴りました。彼は手袋を外しました。僕のミスなのに理不尽でした。今でも廣瀬にそれを言われます」

 高野は勝つために必死だった。最終スコアは22−21。だから、笑い話ですんでいる。早大には前年の29回大会で12−25と敗れた雪辱を果たした。

 4強戦は法大に19−28と及ばなかった。
「伊藤剛臣(たけおみ)さんにやられました」
 神戸製鋼で日本代表キャップ62を得るNO8の、バネのような走りを止められなかった。4年時も4強戦で明大に15−33と敗れている。
「明治は強かった」
 2年連続全国4強を経験して卒業する。

 この高大7年間で、高野は忍耐力を会得した。高校では1時間のランパスがあった。
「1年365日、走っていたイメージです」
 淀川河川敷のグラウンドの縦100メートルを数人でボールをつなぎ、全速力で走る。それを果てそうになるくらい繰り返した。

 大学ではグラウンドの北にある雲ケ畑(くもがはた)まで往復20キロの山道を走る。
「タイムが決まっていて、速い人は1時間20分くらい。1時間30分を超えると、1分ごとに罰として階段上り下りが追加されます」
 折り返し地点には監督の大西健が立ち、その両手をタッチしなければならなかった。

 高野の長所はこの忍耐力もある。営業によって磨かれた人当たりのよさだけではない。苦しさやつらさに向き合うことには慣れている。そして、高大では成果を手にする。その経験はすべてこの新しいチームに生きる。

 すでにディビジョン2の日程は決まっている。開幕試合は12月9日、九州電力キューデンヴォルテクスと戦う。思い出のある博多の森で午後2時30分キックオフされる。

 残り2か月を切った。みなの夢と希望を現実のものとするべく、高野は粉骨砕身で過ごしてゆく。

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