コラム 2023.08.18

【コラム】メンバー発表と、8月の選手たちの言葉。

[ 向 風見也 ]
【コラム】メンバー発表と、8月の選手たちの言葉。
準備試合の国内連戦は1勝4敗に終わった。選手の出場停止もあり苦しい状況のジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ

 当たり前だと言われても仕方がない。本当の事だから記す。

 選手選考とは、人が人を選ぶ行為なのだ。

 4年に1度のラグビーワールドカップを今年9月にフランスで迎えるにあたり、ラグビー日本代表は大会登録メンバーを発表した。8月15日に都内で会見した。

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 会見中の質疑の流れで、ジェイミー・ジョセフヘッドコーチは普遍を語った。

「誰を連れて行くかは私の仕事として判断する。ベストなチームを作ることを考えて選びたい」

 改めて、選手選考は監督およびヘッドコーチの専権事項だ。

 チーム内の事情により専門コーチの意見が参考されるとしても、最後は、指揮権を持つ人が選手をする人を選ぶ。その原理原則があるからはじめて、コーチたちは選手を選んで戦術を決めて臨んだ試合の責任を問われる。

 インターネットなどで見かけるオピニオンに、「なぜ〇〇選手を使わない」がある。そのチームの監督が愛好家に人気の選手を起用していない時に起こる議論だ。チケット代を出すファンは選手選考に口を出す権利がある。

 一方、観戦者が納得できないセレクションが監督の一存でなされていること自体はごくごく自然である。少なくとも、その監督が自らの職責を全うしているのは確かだからだ。たとえば監督ではない人がメンバー選考に横やりを入れているようなチームよりは、よほど健全と言える。

 選手選考は、人が人を選ぶ行為だ。だからこそ、そこから派生する物語が人の共感を集めることもある。

 いまから8年前。8月22日の土曜の夜のことだ。

 日本代表が試合をした福岡の現・ベスト電器スタジアムの取材エリアで、当時の日本ラグビー協会の広報担当者2名にそれぞれ別なタイミングで同じことを言われた。

 一言一句正確ではないが、こういう内容だ。

「その日、日本代表のメンバーが決まっています。ただし発表は31日なので、それまで口外しないでいただきたいです。それをお約束いただくことが、今回の取材を受ける条件となります」

 折しも日本代表は、ワールドカップイングランド大会を同年9月に控えていた。宮崎合宿と各地での試合を通し、メンバー選考の最終段階に入っていたのだ。

 筆者は、26日水曜に宮崎へ出向く予定だった。ただ、その日の練習を取材するには「条件」があったのだ。

 ここでの「日本代表のメンバーは決まっています」とは、その日の朝までに、当時の代表合宿で汗を流していた38名のうち数名がチームを離れることを指していた。その数名は、イングランド大会の登録から漏れるのだという。

 つまり、26日に宿泊施設から練習会場に出てきた選手が、イングランド大会のメンバーにあたるようなのだ。

 もっとも正式なアナウンスは31日だったため、バックヤードには事前の公表を避ける意図があった。筆者に限らず、他のメディアもこの「条件」を受け入れていた。

 大会前の日本での試合は、まだ残っていた。29日の土曜に東京・秩父宮ラグビー場で、ウルグアイ代表戦が待ち構えていた。ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズは、ラストゲームを前に人員を絞ると決めたわけだ。

 折しも1日3部練習が基本線となるハードなキャンプを始め、5か月目が過ぎようとしていた。自身がイングランド大会後に退任するのも、ちょうどこのころに決めていた。ワールドカップで成功するのから逆算すると、このタイミングで大切なことを伝えることが最適解だとジョーンズは考えたのだろう。

 当日までに「コーチングをするうえで一番やりたくないこと」という落選通告をひとりひとりにおこなった。

 そして、その後の選手向けのミーティングで、主将のリーチ マイケルが当日帰路につく仲間の名を告げた。

 やや残酷にも映るその決断は、ある意味、狙い通りに働いた。

 現場にいた選手が緊張感を高めたのだ。

 当時初のワールドカップ行きを目指していた松島幸太朗は、イングランド大会の直後にこう振り返る。

「選手は最後の試合まで皆いると思っていたので、(予定の)1週間くらい前までに(ワールドカップの)メンバー発表があって、(落選者は)次の日に帰りますと言われて…。その驚きはありましたね」

 そして当日午後の練習は「ピリピリした感じ、ありました」と松島。その通りだった。「条件」を受け入れて練習前のグラウンドへ訪れた筆者は、静かでひりつく空気のなかで選手が来るのを待っていた。

 ひとり、ふたりと現れるメンバーの名をノートに記していけば、31日に正式決定する31人のアウトラインがじわじわと浮かび上がってくる。

 当落線上にいると目された選手の顔が見られると、一箇所に固まる報道陣がほんのわずかに色めきだったような。

 宮崎の真夏の昼を過ごしながら、鳥肌が立つような感覚に見舞われた。

 実際にはイングランドに行く31名と、「バックアップメンバー」に回る選手のうちウルグアイ代表戦でプレーする渡邉隆之、ヘイデン・ホップグッドが宮崎へ残った。

 トレーニングを終え、最後に宿へ戻ろうとするリーチは、記者に囲まれると「…これ、どこまで話したらいいのかわからない」とあたりを見回した。

 発した内容によっては記事にならないことがわかると、リーチは簡潔に述べた。

「メンバーが決まって、チームが縮まって…その、すごく、すげぇ、集中している」

 大会初戦で過去優勝2回の南アフリカ代表を破ったのは、その3週間後のことだった。相手選手はもちろんレフリーも子細に分析して歴史的勝利を挙げた31人の戦士は、大会通算3勝を挙げた。

 イングランド大会の主力で現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ主将の立川理道は、日本に戻ってから約2か月後に振り返る。

 2015年8月26日に涙をのんだ、村田毅、垣永真之介という同士のことを。

「村田さんはワールドカップ期間中もずっと(日本で)朝練していたと。それを聞くと嬉しかったですし、同じ志を持って戦ってくれたと感じました。垣永も、チームで朝練をカットされた日も朝練に行っていた。そういうメンバーがチームを強くしたし、そういうメンバーの思いを背負って戦う気持ちもあった」

 現日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチがフランス大会のメンバーを選手に告げたのは、2023年8月5日。フィジー戦を終えた直後の秩父宮でのことだ。

 ワールドカップでは2019年の日本大会まで主将を務めたリーチは、自身の名前が呼ばれて「ほっ」とした。かつ、気が引き締まりもした。

 その場に、選ばれない仲間もいたからだ。

「さらに責任を感じました。向こう(フランス)へ行って恥のないプレーをしないといけない、本当に彼らの分まで頑張らないといけないなと思いました」

 今回、厳しい現実を受け入れたひとりに、リーチと同学年のベテランもいた。山中亮平だ。

 2015年8月26日に垣永や村田と一緒に宮崎を離れるも、4年後の日本大会でワールドカップに初出場。昨秋までFBの主力格だった35歳だ。

 司令塔のSOを含めた特定ポジションの選手が多めにチョイスされる流れで、専任フルバックの枠数が減っていた。

 選んだその人、ジョセフが説く。

「競争をしてもらった。そのなかでベストなチームを作っていかなくてはいけない。彼のことは残念で、アンラッキーな部分があったと思っています」

 正式発表のあった2023年8月15日の翌日、府中市内で日本代表の練習に参加していた堀江翔太が口を開いた。

 リーチと同じく自身4度目のワールドカップを目前に控え、盟友である山中の落選について聞かれた。

 幾多のセレクションの現場に立ち会ってきた37歳は、関西のイントネーションで「胸張って」と繰り返した。

 本人に語ったのであろうメッセージも交え、人が人を選ぶ本質を発するのだった。

「あいつが外れた理由はわからないですけど、あいつは胸張って最後までやり切ったと思いますし、あいつのパフォーマンスが悪かったわけではないと思うんですよね。コーチ、スタッフは、どんなラグビーをしたいかという部分で(選手を)選んでいくので。(山中は)下手やからとか、全然よくなかったからという理由で外されたやつではないと思います。なので、胸張って自分のラグビーを貫き通して欲しいなという話は…しました」

【筆者プロフィール】向 風見也( むかい ふみや )
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。

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