コラム 2026.09.25

【ラグリパWest】ギャップを射抜く。上野高広 [株式会社ELEVATOR ASSET/代表取締役CEO]

[ 鎮 勝也 ]
【キーワード】,
【ラグリパWest】ギャップを射抜く。上野高広 [株式会社ELEVATOR ASSET/代表取締役CEO]
既存エレベーターを使ったリースや広告業を主にする株式会社ELEVATOR ASSETのトップ、代表取締役CEOの上野高広さん。会社は設立2年少々で800基を扱い、年商7億円と軌道に乗る。上野さんは栃木・佐野高、立命館大でのラグビー経験者でもある。右に見えているバッグは「妻のものです。使いやすいので借りてきました」。このこだわりなく、本質を見抜く力は経営者に必要不可欠だ

 上野高広がラグビーをしていたことは想像できない。自己申告がいる。

 表情は柔らかい。テレビドラマの父役がぴったり。慈愛に満ちる。5月で51歳になった。

 楕円球の世界で得たものがある。
「ギャップを突く、ということですね」
 そのすき間は今、エレベーターになる。

 既存のものを買い取り、リースをするビジネスに思い至る。その部分には誰も目をつけて来なかった。ギャップである。

 上野はELEVATOR ASSET(エレベーター アセット)を立ち上げ、代表取締役CEOについた。ASSETは資産の意。この株式会社は本社を東京の新宿、支社を大阪に置く。

 事業は軌道に乗る。
「今、扱わせてもらっているエレベーターは800基ほど。年商は7億になりました」
 会社設立から2年と少ししか経っていない。

 社是は<見えない価値を、見える資産へ>。
 不動産系サイトの『ECHOES』(エコーズ)がそのスキームを詳報している。基本形は220万円ほどでエレベーターだけを買い取り、キャッシュフローを提供する。

 ビルのオーナーからは月々15000円のリース料をもらう。期間は10年。これだと30万円超の持ち出しになるが、広告をエレベーター内に貼る。扉を囲む3か所なら月に18000円。会社も黒字にもってゆける。

 エレベーターに貼る広告は街中で見る紙のものだ。それを透明なファイルで包む。
「人の頭は1秒間に7文字しか入りません。アナログなんです」
 そこまで考えて行動している。

 起業するまで4つの会社を経た。1994年、立命館大を卒業。新卒で入った群馬銀行には23年いた。出身は栃木のため、Uターン的な就職だった。その後、ファンドや不動産系の3社で働いた。ギャップを探し続ける。

 そしてエレベーターに行きつく。
「原型は紀元前からありました。アルキメデスが梃子の原理を使い、作りました。それから2000年以上が経っています」
 悠久の時を超えた感動すら上野にはある。

 エレベーターは建物の肝でもある。
「それを囲んで作っています」
 上野は説明する。新しいものを設置するためには、基本的に建物の解体が必要になってくる。莫大な費用がかかる。

「だから、今あるものを大切に使うということですね。東華菜館のエレベーターは102年、使われ続けています」
 京都の河原町にあるランドマーク的なビルを挙げる。上野の事業は社会貢献にもなる。

 利益獲得にしゃかりきになっていないことは、上野の顔を見ればわかる。それは、数学者が見つけ出した数式を当てはめてゆく姿に重なる。その数式にのっとり、正しく事象が推移してゆくことがよろこびだ。

 上野は飲酒も博打も夜の蝶も追わない。
「趣味は妻とのランチですかね」
 妻の紗智は入行時の同期。今も仕事を手伝ってくれる。よき伴侶を得た。飼い犬と遊ぶことやラグビー観戦も好きである。

 そのラグビーにおいてギャップの大切さ説いたのは立命館大の高見澤篤だった。OBとして当時、コーチや監督をつとめた。高見澤が覚えている「腰の強さ」を生かして、上野は2年生からCTBのレギュラーになる。

 身長は175センチ。上野が体ごと前に出るのは難しい。速さでもかなわない。
「京産大のトイメンは同期の大畑君でした」
 大畑大介はWTBが専門だが、CTBを兼ねた時期もあった。日本代表キャップは58。結果、前を見て、すき間を探すようになる。

 3年時には大学選手権に出場した。33回大会(1996年度)は1回戦敗退。日大に29-72だった。東京の秩父宮で戦った。
「緊張したことを覚えています」
 この33回大会は出場2回目。今はその回数を19に伸ばしている。

 立命館大には高見澤が誘った。高見澤は埼玉の熊谷高の出身だ。上野は栃木の佐野高である。同じ北関東と考えて差し支えない。佐野高の創立は1901年(明治34)。旧制中学の流れをくむ県立男子校だったが、今は付属中ができ、男女共学の一貫校になった。

 ラグビー部の創部は1951年(昭和26)。全国大会出場は6回だ。最高は3回戦敗退。最後となる64回大会(1984年度)は同志社高に6-12だった。輩出した日本代表は4人。直近ではキャップ2を得たFLの三村勇飛丸がいる。3年前、静岡BRで現役引退した。

 この競技を上野は高校から始めた。
「スクール☆ウォーズの世代でした。それに強かったですから」
 人気のテレビドラマに触発された。最後の全国大会予選は決勝で國學院栃木に負けた。
「6-12だったと思います。つらかった」

 さまざまな感情も事業運営のベースだ。上野の次席、専務は新畑真璃。執行役員として大蔵省(現・財務省)出身の御園生功(みそのう・いさお)も加わった。上野は笑う。
「バランスがいいでしょう」
 女性も年上も重用される。開けた会社だ。

 仮に大手がこの分野に乗り出してきても、スピード感が違う。従業員は10人。上野が瞬時に決裁できる。何より誠実さがある。約束30分前には現場にいる。商談の席はわかりやすい入口に近いところを押さえる。お礼メールは当日送付。その誠意が他者に伝わる。

 これからの展望を語る。
「ナンバーワンではなく、オンリーワンになりたいですね。オンリーワンは潰れません」
 勝ち抜くことではなく、独自性を保ち、その部分を追求してゆく。そこにも学者のような姿勢が見え隠れする。

 上野が生まれたのは1975年。昭和では50年になる。この年はラグビー選手の当たり年だ。通算テストマッチトライ記録69を持つ大畑や大久保直弥、箕内拓郎らがいる。2人も元日本代表。大久保はU20日本代表のヘッドコーチ、箕内はRH大阪のコーチだ。

 この顔ぶれに上野は実業界から肩を並べようとしている。人生は長い。上野はひとつの生きざまを示しているといえよう。

PICK UP