コラム 2026.05.18

【ラグリパWest】新しいチャレンジ。嶋田直人 [京都市立京都工学院高校/ラグビー部/コーチ]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】新しいチャレンジ。嶋田直人 [京都市立京都工学院高校/ラグビー部/コーチ]
先月4月1日付で京都工学院高校の保健・体育教員とラグビー部のコーチに就任した嶋田直人さん。嶋田さんはリーグワンの横浜キヤノンイーグルスでFLとして活躍。生え抜き選手として最多の112キャップを記録した。嶋田さんは京都工学院高校の前身のひとつ、伏見工の卒業生である。新校になりウエイトルームはリーグワンなみの設備となる

 今月21日で35歳になる。この年に新しいチャレンジが始まった。

 嶋田直人である。
「子どもたちとのふれあいを楽しみながら、頑張らないといけません」
 笑うと黒く光る細い目は左右に伸びる。ほおは崩れたように下に向かう。

 嶋田はプロのラグビー選手から高校の保健・体育の教員になった。コーチも兼ねる。厳密に書けば、その間の1年、横浜キヤノンイーグルスのスタッフをやった。

 チームの略称は「横浜E」。リーグワンのディビジョン1(一部)に所属する。ここで嶋田は立命館大を卒業後、12年間を過ごした。

 選手時代、公式戦出場を示す<キャップ>は生え抜き初の100超えとする。最終的には112とした。その経歴を持って、4月1日から京都工学院に着任した。

 この高校は母校の伏見工の流れをくむ。同じ市立校の洛陽工と統合され、新校ができたのは10年前だった。
「校名も学校の場所も生徒の気質も違います。帰って来た、という感じはあまりありません」
 嶋田は正直である。

 学校は伏見稲荷大社の西から南の丘陵地に移った。学科は大学進学に特化したフロンティア理数ができた。伏見稲荷大社は「おいなりさん」の総本宮であり、丹色(にいろ)の千本鳥居が美しい。神の使いとされる<狐>はチームの象徴でもある。

 変わらないものもある。京都工学院のジャージーは伏見工時代と同じ深紅だ。レギュラー争いのし烈さも同様。新入生34人が入り、選手の総数は100人となった。

 嶋田は1年7組の担任にもなった。
「びっくりしました」
 新人でも「できる」という判断だ。横浜Eでは<育成・普及>の肩書で、中学生までのアカデミーを担当した。

 心強い先輩もいる。5組の担任はラグビー部コーチの吉永怜史、6組は山田康男。山田には伏見工時代に内田啓介とともに学んだ。
「分からなことがあれば、聞ける状況です」
 内田は同期で、1年先にここで保健・体育の教員とラグビー部のコーチについている。

 内田は筑波大を経てパナソニック(現・埼玉WK)に入った。SHとしての日本代表キャップは22。嶋田は笑顔を浮かべる。
「うれしく、幸せなことです」
 いつか再び一緒にプレーしたい。その思いが京都工学院でコーチとして実現した。

 2人は京都市の「フロンティア」と呼ばれる特別な教員採用試験を受け、合格した。ラグビーに限らず、世界大会出場など著しい実績を残したアスリートに受験資格がある。

 嶋田も内田同様、ケガさえなければ日本代表入りは確実だった。4年前、その運動量や激しさで候補に入っていたが、選考対象の在日トンガ代表戦で肩を痛めた。海底地震救済のチャリティーのための一戦だった。

 代表クラスが来たことを同じFL、そして主将の田中琉翔(りゅうしょう)は喜ぶ。
「嶋田先生はスキルを教えてくれます。もうディフェンスがよくなりました」
 ダブル・タックルではボールに行く2人目も強く入ることを教わった。田中は163センチと小柄ながら、スタミナは抜群だ。

 嶋田が競技を始めたのは勧修中に入学直後だ。京都の山科(やましな)にある。
「幼なじみがみんな入って、楽しそうにやっていました」
 中2の時、伏見工が冬の全国大会で4回目、最後の優勝を果たす。85回大会(2005年度)の決勝は桐蔭学園に36-12だった。

 その強さにあこがれて進学する。メンバー外の1年時、チームは87回大会で準優勝する。東福岡に7-12だった。2、3年時には府予選決勝で京都成章に敗れている。

 立命館大ではスポーツ健康科学部の1期生になった。
「保健・体育の教員免許も取れるし、実家から近かったこともありました」
 JRを使えば、山科からキャンパス最寄り駅の南草津までは15分弱で着く。

 立命館大では1年からNO8でレギュラーになる。4年時には副将として12年ぶり3回目の関西優勝に貢献した。大学選手権は50回大会(2013年度)。プール戦敗退だった。明大には12-10と勝利も、慶大には22-26、東海大には35-42で敗れる。

 キヤノンは誘ってくれた。HO主将の庭井祐輔と入社した。庭井は日本代表キャップ10を得る。嶋田は1年でプロに転じた。
「現役引退をしたら、指導者の道に進むつもりでした。ならラグビーに集中しようと」
 心に残る指導者たちはみな優しさと厳しさを持ち合わせ、部員たちを愛した。

 高崎利明や松林拓、それに落合弘典の名前が挙がる。伏見工から京都工学院に移る中で、高崎は先々代、松林は先代の監督だった。落合は勧修中の監督で、松林の中京大の後輩にあたる。高崎は日体大出身だ。

 その3人に近づけるように実践しているひとつがある。
「生徒や部員の顔と名前を覚えることです。自分も名前で呼ばれた時は嬉しかった」
 クラスは33人だが、ラグビーや受け持つ15時間の授業を含めれば、その数は膨大になる。しかし、そこが基礎ではある。

 伏見工は1975年(昭和50)、山口良治がラグビー部監督につき、本格化した。チームは教え子の高崎、松林、そして現監督の大島淳史に継がれた。全員、保健・体育の教員だ。

「ラグビーは20年ほどやってこられました。経験や知識は教えられる。でも、人を育てることは始まったばかり。コーチと教員の違いはその学びの中で見えてくると思います」

 教員はグラウンドの2時間だけではない。その子の人生に責任を持つ。
「しっかり向き合う、寄り添う。それらが一番大切だと思っています」
 嶋田は実はすでに教員の肝を知っている。あとは実践あるのみである。

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