【ラグリパWest】杜の都の指導者㊦。柴田尚都 [仙台高等専門学校・名取キャンパス/ラグビー部監督]
柴田尚都は仙台高等専門学校の名取キャンパスにおけるラグビー部の監督である。略称はそれぞれ「高専」、「仙台・名取」となる。今年6月で61歳になる。
その出身は関西である。神戸で生まれ、大阪の高校でラグビーを始めた。府立校の長野北に入学後である。
「それまで野球やサッカーをやったけど、人も多かったし、あまり面白くなかった」
長野北は5年前、統合され閉校した。
柴田が仙台に来たのは仙台大の体育学部に入学したためである。
「地方の学校に憧れていたんやろね」
東北の中心に飛んだ理由を話す。ラグビーを続ける。ポジションはSHだった。
当時の監督は丸山富雄だった。東京教育大のラグビー部OBである。
「丸山先生とは今でも旅行に行ったりしています。結婚式の仲人もお願いしました」
柴田は恩義を忘れない。今の道は丸山ありき。東京教育大は統合で筑波に名を変えた。
卒業後、筑波大の研究生を経て、1990年に宮城工専の保健・体育の非常勤講師になった。ラグビー部のコーチにもついた。教員と指導者としての生活をスタートさせる。その合間に仙台大の大学院で修士号を得ている。さらにこの大学でもコーチをやった。
ここから、名高いラグビー指導者の知遇を得る。勝田隆や谷崎重幸である。勝田は筑波の後輩として丸山のあとを継ぎ、仙台大の監督についた。高校日本代表の監督や1999年のW杯で日本代表監督の平尾誠二をサポートしたりもした。現在は東海大の教授だ。
谷崎と知り合ったのはニュージーランドだった。2002年に1年間の在外研究の機会を得た。その時、谷崎も現地に滞在していた。
「お互いの家でよく飲みました」
谷崎は東福岡の監督として歴代3位タイ、冬の全国大会優勝7回の基礎を固めた。現在は新潟食料農業大の監督である。
柴田はラグビーのコーチングと並行してレフリーもやった。神戸市立高専の監督、小森田敏(こもりた・さとし)は証言する。
「柴田先生は三地域のトップでした」
日本協会の下に、関東、関西、九州の三地域協会がある。当時、そこでのトップレフリーはこの国を代表するレベルだった。
その哲学を柴田は文章で送ってくれた。
<空気のような存在でいながら、その両チームの文化を試合で引き出すこと>
レフリーは黒子。目立ってはいけない。その上で双方に目いっぱいラグビーをさせる。同時期に活動したのは岸川剛之。日本ラグビー協会のハイパフォーマンス部門の元部門長である。
柴田の持論がある。
「レフリーはコーチの勉強をして、コーチはレフリーの勉強をすべき」
レフリーはチームの意図を判断した上で、判定を下す。チームはその判定を尊重する。総合理解を醸成することが、勝ち負けに関わらず、いい試合には欠かせない。
コーチもレフリーも経験している柴田は、ラグビーをセンターに置いて行動する。全国高専大会では昨年の55回大会からアフター・マッチ・ファンクションを再開させた。
試合後、両チームがジュースやお菓子などを持ち寄り、健闘をたたえ合う。この56回大会、白いジャージーの仙台・名取は決勝で奈良に5-39。14回目の準優勝になった。負けてもこの交歓会には全部員が参加した。
「それがラグビーの文化やからね。僕はラグビーを通して部員に色々と教えている。ラグビーを教えているのではない」
試合の感想をお互い口にして、交わりを持つ。それが、世に出た時に思わぬ方向に広がってゆく。人生が豊かになる。自分自身もそんな経験を積み重ねて来た。
柴田はまた、大会期間中に小森田を夕食に招く。手土産も欠かせない。それはこの大会運営の中心人物の慰労ということに他ならない。小森田が監督をつとめる神戸市立に大会本部は置かれている。大会優勝回数は仙台・名取の15に対し、2位の10。そこにあるのはライバルを超えた仲間意識だ。
仙台・名取の監督として、教授として、柴田には大切にしていることがある。
「その子の選択肢を増やすこと」
ラグビーをすることによって、選択肢は確実に多くなる。可能性は学問以外にも広がる。それを実感している教え子たちがいる。水野龍星であり、早坂美怜である。
水野はこの春、ニュージーランドに旅立つ。3大会前、15回目の優勝時のNO8主将だった。卒業後につとめた大手電子機器メーカーをやめる。早坂は4年生の現役部員だ。1968年(昭和43)に創部したチームにとって初の女子選手になった。水野と早坂にとってはラグビーによって新しい地平が開ける。
柴田の3人の息子たちもラグビーを選んでくれた。長男のまさきは報徳学園から甲南大、次男のなつきは仙台育英から日体大、三男のむつきも仙台育英から武蔵大に進んだ。
その幸せそうな家族には大きな悲しみがある。妻であり母の理香が世を去った。6年前の8月だった。脳出血だった。
「いきなり倒れて、1週間やった」
理香とは幼なじみだった。生後、神戸・岡本の同じアパートに住んでいた。
長い長い付き合いがある妻に突然、先立たれる。妻は柴田の一学年上だった。
「介護などの負担をかけず、ラグビーに集中して下さい、という意味やったのかなあ」
今はそう解釈するようにしている。
魂魄(こんぱく)というものがあるのなら、それは寄り添い、見守ってくれているはずである。仙台・名取のチーム横断幕は鮮やかな水色に白字で<全身全霊>と染め上げられている。心身すべての力でものごとに対峙することをうたっている。
柴田は全身全霊でこれからも人づくりに挑んでゆく。その使命をまっとうする、そのことこそが供養であると言えよう。
(杜の都の指導者㊤㊦終わり/杜の都の指導者㊤はこちら)
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