【ラグリパWest】杜の都の指導者㊤。柴田尚都 [仙台高等専門学校・名取キャンパス/ラグビー部監督]
仙台は東北を代表する都市である。緑がまぶしく、雅称は「杜の都」。伊達政宗がいわゆる青葉城を築き、400年以上が過ぎる。
県は宮城。県庁所在地でもある。北から南を奥羽山脈が貫き、その東側に仙台はある。さらに東には青い太平洋が波打つ。
その街に仙台高等専門学校はある。キャンパスは2つ。名取と広瀬。どちらもラグビー部がある。名取の監督は柴田尚都。「なおと」と読む。昨年6月に還暦を迎えた。
高等専門学校の略称は「高専」。中学卒業後、5年間で理系の学びを深める。仙台高専は国立である。名取キャンパスは、「仙台・名取」と略される。
柴田がこの仙台・名取の保健・体育の非常勤講師として赴任したのは1990年(平成2)。同時にラグビー部のコーチにつく。当時の校名は<宮城工業高専>だった。
今は教授兼任の副校長になった。コーチから監督に昇格したのは赴任から4年後の1994年。このチームのみならず、現役では高専ラグビーにもっとも精通する。
ラグビーの指導者になって36年の歳月が過ぎた。その長さに感嘆はない。
「過去を振り返る余裕がない、というか、現役監督なので前に進むしかないって感じ」
柴田の細い両目は笑えば、上向きの楕円のようになる。すべてを知り尽くした仙人の雰囲気が漂う。
仙台高専ができたのは17年前。宮城工専と仙台電波工業高専が再編された。それぞれ、名取、そして広瀬キャンパスとなった。2つのラグビー部はともにこの年始にあった全国高専大会に出場した。開催場所は神戸ユニバー競技場。参加は10校である。
出場回数は名取が37年連続46回、広瀬が2年連続3回である。この56回大会において、名取は決勝で奈良に5-39で敗れた。準優勝は14回目。広瀬は1回戦で久留米に19-49で敗北した。
柴田は敗因を語る。
「接点がね…」
名取の特徴はフィジカルの強さである。ウエイトトレと柔道場でのタックル練習などを組み合わせて、強靭な体を作ってきた。奈良にその部分を上回られた。
柴田にはジレンマがある。
「フィジカル強化に力を入れすぎると部員がいなくなる」
仙台・名取の選手数は31。その内、経験者は1人。基礎的なきつい練習はできるだけラグビーの楽しさを知ってからにしたい。
一方の奈良の経験者は25人の試合登録メンバー中18人。県内では天理、御所実という高校トップの2校と並び、第三極になった。勉強をしながら、日本一を狙える魅力がある。奈良は名取と比べて、経験者が多い分、ハードな練習も比較的容易にできる。
高専は原則、ラグビーによる推薦入試はない。15の年から理系の専門的な分野が学べるため、中学生からの人気は高い。仙台高専を例に取れば、名取の専門は機械や建築、広瀬のそれは情報通信や電気である。入学偏差値は60の中盤が必要になってくる。
卒業後の進路は3つに分かれる。就職、大学の3年次編入、学内にある専攻科進学である。専攻科でさらに2年の学びをすれば、学士号を得る。就職は強烈な売り手市場だ。
「求人はひとりに30社くらいきます」
柴田は話したことがある。この点も中学生からの支持が多い理由だ。
その中で名取は全国大会で最多15回の優勝を成し遂げている。その内、13回に柴田は監督として関わった。創部は1968年(昭和43)。祖となる宮城工専の創立はその5年前である。優勝回数の2位は神戸市立の10、3位は奈良の8である。
その名取にコーチとして関わり、今はリーグワンのディビジョン1(一部)に活躍の場を変えている者たちもいる。竹内克(かつ)や鈴木徳一(のりかず)である。竹内はBR東京のアシスタントコーチ、鈴木はSG東京のアカデミーなどを担当している。
柴田はステップアップをする場を与えたが、威張る風はどこにもない。
「コーチはチームを離れてゆくもの」
そうして、後進の育成を続ける。今は教え子である今野(こんの)慶伍をその任にあてている。FL出身の26歳だ。
今野は仙台工から名取に4年次編入をしてきた。仙台工では真壁伸弥の後輩にあたる。真壁はLOとして日本代表キャップ37を得た。今野は名取を卒業後、柴田の母校でもある仙台大に3年次編入。今は宮城教育大の大学院で体育学を専攻している。
柴田は今野を後任に考えている。自分も席を譲ってもらった。宮城工専の監督だった岡田将彦からである。仙台高専の定年は63歳の年度末だ。希望すれば2年の再任用がある。
柴田には教育的な血が流れている。父の道雄は大阪星光学院で英語の教員だった。学校はほぼ中高一貫で、府内屈指の私立の男子進学校でもある。父の逸話を語る。
「おやじはね、テストの時に全員に100点をつけたって。学校から怒られたら、みんな頑張っています、と答えたらしいよ」
父の教え子には俳優の内藤剛志や歌手のヒャダイン、資生堂の元社長だった魚谷雅彦らがいる。その教育的な部分は柴田が思うラグビーのよさにも透ける。
「前にパスができないことやね。小さい頃はバスケやサッカーは脚の速い子が圧倒的に強い。前にパスができるからね。ラグビーはそれができない。その分、脚の遅い子を含めて、みんなにチャンスがある」
柴田は興が乗ると関西弁で話し出す。仙台大に入学するまで、神戸で生まれ、大阪の吹田(すいた)、そして河内長野と移り住んだ。今は東北人としての生活の方が長くなったが、そのルーツは西にある。
(杜の都の指導者㊦に続く)



