【ラグリパWest】ここまで来た㊤。福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部
ラグビー創部60周年のお祝いに重なった。
浮羽究真館が初めて福岡県の決勝に進出した。105回目の高校全国大会である。本大会出場を決める戦いは11月15日にあった。
今年は5回刻みの記念大会。県からの出場は2校に増える。決勝の相手は歴代3位、全国優勝7回を誇る東福岡。そのモスグリーンに鉄紺のジャージーは挑む。
浮羽究真館は県立校だ。学校は県南東部のうきは市にある。前日14日、視聴覚教室でメンバー25人にジャージーが授与された。
監督の吉瀬晋太郎が清めの白塩をふりかけたジャージーを手渡してゆく。SO主将の山岡洋祐は決意する。
「やるだけって感じです」
すーっとした男前の顔が引き締まった。前回の対戦は10か月前の県新人戦だった。4強戦で7-88と敗北している。
ジャージーを手渡した監督の姓は、女優と違い<きちぜ>と濁点がつく。今年8月に不惑になった。修行僧のように鋭い目を持つ。吉瀬が母校に保健・体育教員として戻ったのは2015年の4月。同時に監督についた。
ラグビー部の創部は1965年(昭和40)。吉瀬は浮羽究真館の前身、<浮羽>で競技を始めた。当時の最高位は県での8強。吉瀬が就任し、2019年には4強、そして就任11年目の今年、決勝まで来た。
全国大会出場の予行演習は3月に終えていた。大会が開催される花園ラグビー場での<花園DRR大会>に参加した。一泊二日で大阪に遠征した。頭文字は<DreamがRealになる>。夢の実現を願いながら、メインの第一グラウンドで試合をした。
その11年間の指導を振り返る時、吉瀬には苦笑が浮かぶ。
「京産のきつい練習を落とし込めば、すぐ強くなると思っていました」
吉瀬は京産大ラグビー部のOBでもある。
京産大は猛練習で有名だった。
「朝練習が特にきつかったです」
体重の半分に近い30キロのバーベルを1時間ほど上下させた。その鍛錬は財産として残る。ベンチプレスは140キロを差し上げる。
進学の理由を語る。
「ここで4年を過ごせば、なんも怖いもんはなくなるやろう、と思いました」
入学はスポーツ推薦ではなく、一般入試だった。ペーパーテスト中心である。
その差を益子浩一が解説してくれた。
「一般入試組はまず1か月もちません」
益子は日刊スポーツの元記者。ラグビー部ではないが、京産大の卒業生である。
その1か月を吉瀬は超える。スタッフとして部に関わることを打診されたが、断った。あくまで選手にこだわった。
「オフの日もトレーニングをしていました」
吉瀬の記憶が残る。
その熱意と行動で3年時は22人のメンバーに入る。大学選手権は43回大会(2006年度)。京産大は7回目の4強入りをする。早大に12-55で敗れるが、吉瀬は国立競技場に至った。ひとつ上のSHは田中史朗。日本代表のキャップは75を積み上げた。
当時の監督は大西健。今は相談役だ。大学選手権での4強は4回積み増す。初の決勝進出を決め、吉瀬は電話で報告をした。
「よかったなあ、と言ってもらえました」
京産大の4年間は血となり肉となっている。その恩義を忘れることはない。
その吉瀬をラグビー部の部長兼コーチとして支える長谷川寛太は評する。
「信念の人です」
長谷川は帝京大出身の29歳。歴代最長の大学選手権9連覇の7つ目、52回大会(2015年度)からを経験する。日本一を知っている。
長谷川がFWなら、BKを任されているのは永山大地だ。吉瀬の評価は高い。
「コーチとしてはピカイチだと思います。部員に愛情を注ぎ、時間をかけて指導します」
永山は流経大の出身。25歳である。
吉瀬を支える2人はまた、ルリーロ福岡の現役選手でもある。チームの所属はリーグワンのディビジョン3(三部)。休廃部したコカ・コーラやサニックスの受け皿にもなった。同じ福岡県が本拠地である。
選手たちは、市町における<地域おこし協力隊>や一般企業で働きながら、ラグビーをする。長谷川は浮羽究真館の保健・体育の教員、永山は地元の建設会社に勤務する。長谷川のポジションはPR、永山はWTBだ。
この社会人チームを3年前、立ち上げる中心になったのも吉瀬だ。<OBたちが帰って来られる場所>という思いもあった。この地で育った教員の吉瀬が保証人になった形だからこそ、地域の人々はこぞって応援をした。ルリーロ福岡も吉瀬の信念の表れである。
そのルリーロ福岡は初の決勝進出の一助になった。吉瀬には感謝がある。
「存在は大きいです。週に1回は試合形式の練習をしてくれます。高校生を体の大きさやスピードに慣れさせてくれています」
また、その選手寮に浮羽究真館の50人の選手中36人が下宿させてもらっている。
ルリーロ福岡と密な関係を持つ浮羽究真館の祖は2つある。浮羽高等女学校と旧制中学の浮羽。新制高校になった2つが1950年(昭和25)に統合、浮羽になる。20年前、浮羽東とひとつになり、浮羽究真館が開校した。
その高校とルリーロ福岡の所在地となるうきは市の面積は117平方キロ、人口は26000人ほどだ。市域の北を筑後川が流れ、南には耳納(みのう)の連山がそびえる。
その間を久留米から大分の日田に抜ける豊後街道が貫いている。今は国道210号に変わった。市の中心部は<白壁通り>と呼ばれ、白く輝く旧家が長い歴史を伝えている。
気候は温暖でもの成りがよい。米や小麦、さらには果物で名が通る。桃、ぶどう、梨、柿、りんごなどがたわわに実る。浮羽究真館はその<おらが街>の代表でもある。
(ここまで来た㊦に続く)

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