【村上晃一の楕円球ダイアリー#5】「努力ではなく、準備をしよう」
11月6日、京都駅で静岡ブルーレヴズの長谷川慎アシスタントコーチと落ち合った。
京都府向日市立西ノ岡中学校に向かうためだ。
同校の實川明彦校長は、長谷川さんの東山高校の先輩であり、僕の母校・大阪体育大学の後輩でもあった。
實川校長は今春のラグビーマガジン4月号に掲載された長谷川慎さんの「私のコーチ哲学」を読んだ。
そこには、「ラグビーは天性の才能よりも努力が勝るスポーツ」という一文があった。この話を中学生にしてほしいと思ったのだ。
僕はその講演の司会を依頼された。
西ノ岡中学3年生約120名への講演だった。その多くが高校受験を控えている。
演題は「努力は才能に勝る」。
平凡な選手だった長谷川さんが、いかにして日本代表になり、プロのコーチになり日本代表の世界ベスト8に貢献したのか。このストーリーをどのように中学生に伝えるか。
校長室で打ち合わせをしていると、2人の男子生徒が挨拶に来てくれた。
3年生が1人、2年生が1人、ラグビースクールに通う生徒だった。この2人以外、ラグビーに詳しい生徒がいないということが判明した。
その3年生ですら長谷川さんのことをよく知らなかった。当然、村上晃一もまったく知らない。
誰も我々のこともラグビーのことも知らない前提で話さなければいけないと覚悟した。講演が始まる。
まずは長谷川さんがラグビー人生を語った。京都市立七条中学の1年生でラグビーを始めた長谷川さんは体が小さかった。
それでも日本代表入りを夢に描いた。東山高校時代は体を大きくするためにとにかく食べた。お母さんに作ってもらった弁当を2つ、牛乳を4本カバンに詰め込み、必死で体を大きくした。
スポーツ推薦で中央大学に進学。高校でも大学でも日本代表を目指して体を作り、トレーニングに励んだが、なんの代表にも選ばれなかった。
大学卒業後はサントリーに入社。ポジションはHO(2番)だったが、2年目に法政大学時代から日本代表に選ばれていた坂田正彰さんが加入する。
長谷川さんは1番のPRにポジションを変えた。初めて選ばれたのは関東代表だった。
カナダ遠征で日本代表戦の前座試合に出場したところ、帰国後、空港からのバスに電話が入る。日本代表に合流せよ、との連絡だった。
いつ呼ばれても良いように努力を怠らなかった。だからこそチャンスが転がり込んだ。
そんな話なのだが、生徒の反応が薄いように感じられた。長谷川さんは「努力という言葉は恥ずかしいかもしれないね。準備と考えたらどうだろう」と優しく語り掛けた。
生徒の表情が変わり始めた。長谷川さんは日本代表プロップとしてRWCに2度出場し、引退後はプロのコーチとなった。
2009年、10年後に日本でRWCが開催されることが決まったとき、長谷川さんは、その舞台に日本代表コーチとして立つことを目標にした。
単身フランスに渡ってスクラム理論を学び、それを日本の選手に合うように研究を重ねた。周到な準備があったからこそ、夢がかなったのだ。
常に準備を怠らない選手にのみチャンスは巡ってくる。その体験、説得力ある言葉は生徒の心にすんなり届いたようだった。
講演後、實川校長が生徒の感想をいくつか送ってくださった。
◎『とても良い言葉をたくさん僕たちにかけてくれたと思いました。特に「努力は恥ずかしいから、これからの準備というふうにしよう」が心に響きました。自分は正直、努力と言われると堅苦しくて、あまり好きではありませんでした。ですが「準備」ととらえることで、意識が少しでも変わった気がしたし、これからの準備のために今から頑張ろうと思えるようになりました』
◎『今までたくさん準備してきて、たくさん挑戦してきた、その積み重ねが良い結果で戻ってきたのだと思いました。なので、自分なんて才能がないしとか、どうせ努力してもと思ってしまっていたけれど、自分がやると決めたことなら最後まで、納得いくまでやり続けたいと思いました』
◎『努力という言葉はどうしても重い感じがするし、自分に負担がかかるけど、それを「準備」と捉えることで、気持ちは軽くなるし、準備の方が勉強にも取り組みやすいと思いました』
長谷川さんの想いはしっかり届いていた。
今の中学生に「努力しなさい」は重い言葉のようだ。AIに努力と準備の意味の違いを聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
【努力】=目標を達成するために力を尽くすこと。行動そのものに焦点があり、過程での忍耐や継続が重要。
【準備】=物事を円滑に進めるために、前もって必要なものや態勢を整えること。事前対応に焦点があり、成功のための土台作りが重要。
「準備」には、これから起こることへの期待感がふくらむようなニュアンスがある。
場の空気に敏感に反応する長谷川さんの語りに感心した。
長谷川さんはこんな話もした。
「僕は歴史が好きで勉強しました。だから、いまラグビーでいろいろな国に行ったとき、楽しいのです」
中学生たちがいまやっていることは、将来、よい経験をするため、人生を楽しむための準備だ。
言葉の選び方次第で伝わり方が変わるし、心まで軽くなる。学びの多い講演だった。




