コラム 2025.09.26

【ラグリパWest】同級生は楽し。[神戸市内ラグビー1年生大会]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】同級生は楽し。[神戸市内ラグビー1年生大会]
高校1年生のための「神戸市内ラグビー1年生大会」は神戸高とSCIXと神戸高専の合同チームの決勝になり、青いジャージーの神戸高が41-0で合同チームを下して、優勝した

 高校1年生にラグビーに親しみ、続けてもらうことを狙った大会がある。
<神戸市内ラグビー1年生大会>
 神戸は兵庫の県庁所在地だ。

 参加者のひとり、北迫大貴(きたさこ・だいき)は笑うと細い眼が線になる。
「同級生だけのゲームは少ないです。だから、楽しいです」
 所属は県立の芦屋。176センチ、128キロの体を持つPRである。

 北迫は今夏、日本ラグビー協会主催のTIDユースキャンプに参加した。この合宿は「ビッグマン&ファーストマン」と呼ばれ、体格に優れたり、スピードのある選手がその将来性を買われて選ばれる。

 北迫を含めたその芦屋は9月21日の日曜日、リーグワンの神戸Sの灘浜グラウンドに集合する。8チーム(単独は4)が覇を競った。競技はFW3、BK7の10人制。試合は8分ハーフである。

 北迫の左小指には白いテーピングが巻かれていた。4日前、パスを受け損ねて脱臼した。
「出たいです」
 それでも出場を直訴した。監督の渡邊雅哉は両親と話すように諭した。

 父の孝治は高名な選手だった。大東文化の主将として大学選手権で準優勝をしている。大会は28回(1991年度)。明治に3-19だった。卒業後はワールドでプレーした。現役時代は182センチ、106キロのPR。細い眼、体の大きさは遺伝である。

 北迫は父の関係もあり、小1から中3まで芦屋ラグビースクールで競技を続けた。
「勉強もするけど、ラグビーもする」
 この高校を選んだのは、渡邊がスクールにグラウンドを貸し出したり、勧誘したり、なじみがあったことなどもある。

 芦屋の1年生選手は17人。そのうち経験者は5人。北迫は同級生に教える。
「それはまた勉強になります。今はラグビーをやってきた中で一番楽しいです」
 その言葉は図らずとも、渡邊のチーム運営のよさを端的に物語っている。

 渡邊は47歳。鹿屋体大を卒業後、保健・体育の教員になった。現役時代はWTBだった。ラグビー指導は、県立伊丹、母校の星陵に次ぎ、芦屋が3校目にあたる。現在は県高体連のラグビー専門部の委員長も兼務する。実務者としてのトップになる。

 渡邊が競技を始めたのは星陵に入学後だ。学校は市の西側、垂水区にある。
「僕らの時からこの大会はありました」
 資料的なものはないが、少なくとも30年以上この大会は続いていることになる。

 当時は市内の公立校が中心だった。しかし、少子化の影響などで次第に数が減り、今は芦屋のように市外の学校や私立にも加わってもらう。
「スクール☆ウォーズの時に50以上あった学校数が、今では33に減りました」
 最高数をたたき出した陰には高校ラグビーのテレビドラマがあった。TBS系での初放映は41年前である。

 105回目の全国大会県予選の参加チームは23。単独は18校だ。開幕は今月28日である。芦屋学園は来春での休部が予定されており、県立西宮は大会後、一時的であるにせよ部員が0になる。この大会は高校1年生をラグビーにつなぎ止めるためにもある。

 同時にこの大会はクラブチームにも門戸を開いている。SCIX(シックス)は神戸高専との合同で出場した。神戸Sを保有する神戸製鋼が24年前、作ったクラブである。「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二がその中心だった。このクラブには主にラグビー部のない高校に通う生徒が所属している。

 SCIXの主たるコーチは武藤規夫である。
「参加させてもらえてありがたい」
 感謝の念がある。武藤は61歳。現役時代は運動量の多いFLとして、神戸製鋼の7連覇に貢献した。リーグワンの前身である全国社会人大会と日本選手権だった。記録は1988年度から始まっている。

 大阪府との境にある尼崎からも参加チームはあった。市立尼崎は近隣の川西北稜と県立伊丹と組んで出場した。この日は1年生8人のうちケガなどをのぞいた5人が参加した。

 監督は保健・体育教員でもある吉識伸(よしき・しん)である。56歳。県内の報徳学園でPRとして競技を始め、大体大に進んだ。高校時代は主将をつとめた。

「上級生がいたら、びびったりするかもしれんけど、同級生ならそんなこともありません。ラグビーは簡単なスポーツです。相手が来たら倒す。ボール持ったら前に出る。楽しんでもらって、続けてもらえたらええですね」

 8チームが集まった大会は敗者戦もあり、各チームは最低でも2試合を戦えるようにしている。優勝したのは県立の神戸。決勝でSCIXと神戸高専の合同を41-0で降した。神戸の創部は神戸一中時代の1926年(昭和元)。冬の全国大会は9回の出場がある。

 その神戸について畠山和也は説明する。
「今年、いい経験者が3、4人、入ったって聞いているよ」
 神戸は県下トップの進学校でもあり、特に文武両道を求める中学生が集まった。

 畠山は兵庫の中心、三宮にあるラグビー専門店「フィールド」の店主だ。優勝賞品の黒のフィジオ・バッグを協賛社として持参した。ギルバート社の新製品はテーピングテープや薬品などが収納できる。
「チーム名をプリントして後日、渡すねん」
 畠山はひと手間かけて、その勝利の象徴にさらなる付加価値を与える。

 閉会のあいさつで大西智崇は言った。
「大きなケガがなくて、無事に終わって、ほっとしています」
 安全はこの競技においての絶対である。大西は市内の県立、夢野台の監督であり、この大会を中心として支えた。

 来年もこの大会は続いてゆく。ラグビーにとっては何よりの馳走になっている。

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