【ラグリパWest】復活への第一歩。関西高校 [岡山県]
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関西高校は「かんぜい」と読む。
この岡山の私立校にもラグビー部はある。主将は3年生の越智洸士郎だ。
「キャプテンとして、僕は95、96代目になります」
その創部は旧制の関西中の頃。1929年(昭和4年)だ。4年後に100周年を迎える。
この高校は岡山のラグビーの先駆けと言っていい。創部のきっかけは<ラグビー講習会>。北島忠治が明大ラグビー部とともに岡山にやってきた。この1929年は北島が監督についた年でもある。その後、没するまで67年に渡り、紫紺ジャージーを率いた。
関西高校のジャージーは紺×白の段柄だ。
「線の幅は明治と同じで、秋田工などもそれに合わせている、と聞いています」
高林利行は話す。28歳のOB監督だ。秋田工は冬の全国大会で最多の15回の優勝を誇る。創部は1925年(大正14)である。
北島が引き連れた部員の中に関西中出身の鳥羽善次郎がいた。あるいは、鳥羽が岡山行きをすすめたのかもしれない。翌1930年9月24日、鳥羽は日本代表の初のキャップ認定試合にWTBとして出場する。ブリティッシュ・コロンビア州戦。カナダのバンクーバーでの一戦は3-3の引き分けに終わった。
鳥羽は日本代表としてキャップを4つ得ている。そのキャップ対象試合は今では391と積み重なった。直近のものは7月12日、神戸であったウエールズ戦。日本代表は22-31と競り負け、連勝できなかった。
その鳥羽の末裔たちは今もラグビー部を守り続けている。部員は選手のみ22人。新入生は高林を中心にした勧誘で10人が入ってくれた。単独で戦えるようになる。昨年11月、新チームがスタートした時は合同だった。
越智が2代続けて主将についたのは、ひとつ上の代が途中入部者ひとりのみだったことによる。今、経験者は各学年1人ずつ。タグラグビー出身などで華々しい実績はない。
越智は161センチ、60キロの小柄なFLである。眉は太く、黒い両目は柔らかい。意志の強さと優しさを兼ねる。高林は評する。
「人柄がいい。未経験者も優しく教えます」
越智は中学時代、オープン・スクールに来て、タッチフットなどの体験入部ではまる。当時はソフトテニスをしていた。
越智も高林を敬愛する。
「2年生からキャプテンをやれているのは高林先生のおかげ。何でも聞きやすいです」
高林の笑顔は顔全体を崩す、少年のようである。この高校を卒業後、流経大に進んだ。現役時代は175センチ、75キロのSH。入学前、流経大は関東リーグ戦を連覇する。その強さにひかれたこともあった。
高林の4年時は2018年。関東リーグ戦は3位。55回大学選手権は8強敗退だった。帝京に0-45。卒業後は、関東の建築系の商社で4年弱を過ごした。そして、帰郷する。
「白波瀬先生が定年で打診がありました」
白波瀬行親(しらはせ・ゆきちか)は高林の恩師で前のラグビー部監督だった。
高林は社会科の教員として、2023年の4月に赴任する。ラグビー部では1年目はコーチ。昨年から白波瀬の後を受けて監督になった。チームに携わり3年目に入った。
その関西高校は1887年(明治20)、岡山薬学校としてスタートした。現在は県内唯一の男子校で3科構成。普通、ITビジネス(商業)、EIエンジニア(工業)である。
「全校生徒は1000人を切るくらいです」
高林は説明する。学校はJR岡山駅から車で西へ10分ほどの西崎本町にある。
この学校は運動系の部活がおのおの名を馳せる。硬式野球部の甲子園出場は春夏通算21回。主なOBは大杉勝男。ヤクルトなどで2228安打を放ち、名球会に入った。ボート部は4人乗りのクォドルプルで、先ごろあったインターハイで4連覇を達成する。
ラグビー部の冬の全国大会出場は7回。この回数は津山工の24回に次ぎ、県2位。最高位は県勢トップでもある8強進出。42回大会(1963年)では準優勝する北見北斗に5-20で敗れた。最後の出場は91回大会(2011年度)。1回戦で深谷に7-78と敗北する。
7回目出場の2011年、高林は中3だった。
「最後の県決勝進出は僕が高1の時です。それ以来、行っていません」
2012年の92回大会の決勝は倉敷工に0-12だった。
その位置に返り咲くためには、ラグビーはまず、学校が選ぶ<強化指定部活>に入る必要がある。その数は硬式野球やボートなど11。運動系のクラブは24ある。一般的に予算やスポーツ推薦枠など優遇面が多くなる。
硬式野球は郊外に専用球場を持っている。ラグビーは校内の土のグラウンドだ。平日の練習は午後4時前から3時間ほど。ウエイトとボールを使う練習を同時にこなす。土日は合同練習か試合。月曜はオフにしている。
強化指定部活に昇格するためには、結果を残さないといけない。単独で出場した6月の県高校総体(春季大会)は3位決定戦で津山工など3校からなる合同Aに15-48で敗れた。参加は6チームだった。
高林と越智たちは合同を単独チームに戻した。次は部内で紅白戦ができるよう、部員を30人に増やしたい。日々の練習に相手がつき、部内競争が生じれば、力は上がってゆく。チームのモットーは<BOND>である。
「団結、きずなですね」
高林は説明する。その英単語は部員勧誘にもあてはまる。<数は力>である。
60年以上前、全国8強のころと比べれば、力には相当な開きがある。県内には倉敷という強豪校もできた。その状況下でも、高林は28歳と若さがある。熱意も持っている。強化の方向性を間違えず、地道に進んでゆくことができれば、<岡山ラグビーの祖>の再興も決して夢ではない。