日本代表 2025.06.25

【サクラフィフティーン PICK UP PLAYERS】レスリーさんが、原動力。左髙裕佳[PR/横河武蔵野アルテミ・スターズ]

[ 編集部 ]
【サクラフィフティーン PICK UP PLAYERS】レスリーさんが、原動力。左髙裕佳[PR/横河武蔵野アルテミ・スターズ]
2020年に結婚し、佐髙姓となった(撮影:上野弘明)

 佐髙裕佳の愛称「あらし」は、旧姓の五十嵐からくる。

 当時、名古屋レディースにいた兼松由香さん(現・女子セブンズ日本代表HC)と同名だったため、いくつかあだ名の候補が挙がった。「最終的な決定権は私に委ねられ」、呼びやすい「あらし」となった。

 そんなあらしさんは、稀有なラグビー人生を歩んできた。
 4歳上の兄で元豊田自動織機の健二さんが通った、守山東中で楕円球を追った。健二さんの妹が入学してくると知った顧問の先生が、女子ラグビー部を作ったからだ。

「もう入学した時には決まっていました。でも、結局、他の女子は一人も入りませんでした」

 流れのまま3年間は男子の中で揉まれ、高校からは名古屋レディースに加わった。
 そこではLO、NO8、そしてPRと、台所事情の厳しいチームのためにポジションを移った。

 その間に女子日本代表にもデビュー(19歳/2014年)。当時はLOだった。

 3試合ほど出場した後は代表活動から離れたが、特段、悔しさはなかった。

「その時は選ばれたらうれしいな、くらいの気持ちしかなくて。体育教師になりたいという夢に一番重きを置いていて、大学生活で良い思い出ができたなくらいの感覚でした」

 愛知みずほ大卒業後は念願の教員に。休職した翌年には、もう1個の夢として持っていた「NZでラグビーがしたい」も叶えた。
 運命が変わったのは、それから帰国した直後だ。

 女子関西大会を視察に来ていた、就任したばかりのレスリー・マッケンジーHCから声がかかる。

「レスリーさんの考え方や教え方が面白かったんです。自分にすごくマッチしていると感じた。私がここまで続けている原動力はレスリーさんかもしれません。半分くらいは」

 レスリーHCのもとで強みが磨かれた。ディフェンスのシステムやタックルに入るまでの体の動き、コンタクトの当て感などを体に染み込ませる。
 マットの上でアンダーウェア(通称忍者スーツ)のみを着て裸足でおこなうタックル練では、服を掴
むのが禁止され、体を使って倒す感覚を掴んだ。

 もともと「アタックよりもディフェンスで火がつくタイプ」。体感では「試合に生かせるようになるまで2年かかった」というが、167㌢、94㌔の巨躯を生かしたパンチ力あるタックルを手にした。

 再び代表活動に参加し始めてからは、ラグビーを優先した生活を選んだ。教員を辞め、アルバイトや一般企業へ就職。2022年からは弘前サクラオーバルズに、30歳を迎えた昨年からは横河武蔵野アルテミ・スターズに所属している。

 しかし、前回のW杯はメンバーにこそ選ばれるも、大会直前のNZ戦で負傷し、出場は叶わなかった。
 2024年もケガに悩まされた。足の骨片を取り除く手術をおこない、復帰するもコンディションは上がらず。別箇所の小さなケガも重なった。

 その異変にレスリーHCも気づき、「あなたらしいプレーができていないのではないか」と投げかけられた。

「2024年はみんなについていくのが必死で、チームを引っ張ることができなかった。今年はそのマインドをもっと強く持ちたい」

 スコッド入りが叶えば2度目となるW杯では、グラウンドでチームに貢献したい。

(文/明石尚之)
※ラグビーマガジン7月号(5月23日発売)の「女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は5月15日時点。

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