コラム 2025.06.11

【ラグリパWest】赤のための17シーズン。北島大 [レッドハリケーンズ大阪/元PR]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】赤のための17シーズン。北島大 [レッドハリケーンズ大阪/元PR]
レッドハリケーンズ大阪一筋、17シーズンを過ごし、現役引退をした北島大さん。右PRとしてチームの栄枯盛衰を知る。母体のNTTドコモは社を挙げて、チームを支援している。関西支社の受付には試合前ロッカーの大きな写真が貼られている

 現役を引退した。

 公式発表は5月16日だった。15で始めたラグビー。今年9月で不惑を迎える。気がつけば四半世紀が経っていた。

 北島大(ひろし)はレッドハリケーンズ大阪、略称<RH大阪>のPRだった。
「ほっとしています」
 175センチ、103キロの体からはやり切った安堵感がにじむ。

 その労を西條裕朗はねぎらう。
「お疲れさま。よく頑張りました」
 兵庫の報徳学園の監督である。北島にとって西條は最初のラグビー指導者になった。この高校に入学直後、競技を始めた。

 北島は恵比須さまのように福々しい。
「体の数値は上がっています。でもディビジョン2(二部)のレベルも上がっています。思うようなプレーができませんでした」
 引退は相対的な判断から。今シーズンはリーグ戦14試合中4試合に先発した。RH大阪は8チーム中の4位だった。

 北島は現役最年長。生え抜きとして17シーズンを過ごした。加入は2008年だった。
「社会人0年目でした」
 大学は法政。卒業のはずが、要卒の2単位の取得をうっかり怠っていた。
「練習生という形になりました」
 翌年、晴れて大卒の社員選手になる。

 17年前のチーム名はNTTドコモ関西。トップウエストにいた。リーグワンの前身、トップリーグの二部のひとつだった。
「2009年から強化が本格的になりました」
 プロとして日本代表を経験したSOの伊藤宏明らがやって来る。伊藤は現在、アシスタントコーチ。チームは前年4位から2位、優勝と来て、2011年からトップリーグで戦う。

 ハイライトは2021年、最後のトップリーグでチーム最高の5位に入った。
「ペレナラがいて、マピンピもいました」
 SHのTJ・ペレナラ、WTBのマカゾレ・マピンピが入団。チームの推進力になる。

 ペレナラは北島のあだな「ベイビー」を不思議に思った。尋ねられた北島は、乳児に似ているから、と答える。
「それなら、俺はこれからヒロシと呼ぶ」
 いい大人に失礼と感じたのだろう。
「格好いいなあー、と思いました」

 ペレナラはニュージーランド代表キャップを89と積み増して、現在、日本で2チーム目となるBR東京に籍を置く。マピンピは南アフリカ代表キャップを46としている。

 名の通った同級生たちとも北島は縁がある。
「今、考えたらすごいメンツですよね」
 法政の3年時、大学選手権は43回(2006年度)。8強戦で京産大に28-36と敗北した。トイメンのフロントロー3人は左から長江有祐、後藤満久、山下裕史だった。

 長江と山下は日本代表キャップを18と51持つ。山下は神戸Sで現役を続けている。後藤はS東京ベイのアシスタントコーチとして、リーグワン準優勝の一助になった。

 法政は恩師の西條の母校であり、すすめられた。報徳学園の入学と競技開始は北島健次の影響が大きい。2つ上の従兄である。
「けんちゃんに誘われました」
 北島は中学までは野球をやった。投手で四番とその運動能力は高かった。

 1年からPRでレギュラー。従兄はHOだった。2人で出た冬の全国大会は81回(2001年度)。2回戦で仙台育英に10-41と及ばない。従兄は日大から大阪府警に進む。3年時は県予選決勝で関西学院に5-19で敗れた。

 そして、法政からNTTドコモに入社入部する。採用だった森野晃に自薦した。
「いかせて下さい」
 社会人での挑戦を望んだ。結果的に現役は17シーズン。十分に貢献した。

 現在、NTTドコモから出向したドコモビジネスソリューションズで働いている。
「営業のサポートをしています。見積書の作成や決済、端末の取り寄せなんかですね」
 デジタル技術を用いて、仕事や生活の質を向上させる一員である。
「優しく、信頼できる人が多いです」
 気持ちよく業務をこなせている。

 社会人ラグビーの長さはまた、仕事をこなしてきた、という裏返しでもある。その歴史の中で、応援態勢の変化を感じている。

「僕の0年目は仕事を抜けてラグビーすることをよく思わなかった人もいたかもしれません。でも今は、二部練習があって会社に来ない日があっても、それでも応援してくれる。ありがたい限りですね」

 それはラグビーにおける先人たちの努力にほかならない。母体のNTTドコモはこのRH大阪を部局のひとつとして大切に扱う。
「続けてきたから、たくさんの人たちと知り合えました。僕の財産です」
 趣味は古着集めやキャンプ。古着集めはクラブキャプテンの鶴田馨、キャンプは副将の島田久満らが付き合ってくれた。

 現役引退を7年前にしていたら、その関係性はもっと狭まっていた。2018年、北島は軽い心筋梗塞に見舞われる。
「血管が詰まりました」
 9月9日のチーム開幕戦となる栗田工業(現WG昭島)の前日に東京で発症する。

 試合を欠場して大阪に戻る。手術をせず、3か月ほど休養をした。チームからの続投要請や医師の診断もあり、復帰する。入替戦ではコカ・コーラを33-24で降し、トップリーグに再昇格する。北島は入替出場をした。

 心臓の病を含め、両ひざの手術、頸椎などのヘルニアもやった。北島は笑う。
「机に長く向かっていると首も腰も痛いです」
 満身創痍。ただ、その代償は<つながり>という形で、これからも生きる。

 家族は夫人と息子と娘の4人。小5の寛大(かんた)と小2の翼は「みなとラグビースクール」で父を追いかけている。
「楽しそうな姿を見るのが楽しいです」
 息子の学年の指導員も頼まれた。
「離れられると思ったけれど…」
 ラグビーそのものからの引退は、ない。幸せな人生である。

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