コラム 2025.01.30

【ラグリパWest】赤の若武者。土橋郁矢 [レッドハリケーンズ大阪/SO]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】赤の若武者。土橋郁矢 [レッドハリケーンズ大阪/SO]
入部2年目でSOのポジションをものにしつつある土橋郁矢。東洋大時代からそのキック力には定評があったが、社会人になり、ランニングやゲームコントロールを磨く(写真提供=RH大阪)。レッドハリケーンズ大阪をリーグワン・ディビジョン2での初優勝に導きたい

 昨年のリーグワンの『オフィシャル・ファン・ブック』には寸評が残る。
<常に練習。グラウンドに住んでる噂も>
 ほんまかいな?

「いや、住んでいません。近くに住みたいなあ、とは思っていますけど」
 土橋郁矢(どばし・ふみや)は笑う。ぱっちりした目は細くなり、ふにゃっと落ちる。

 ラグビーへの熱は形になる。実質2季目で正SOになり、全4試合に先発する。レッドハリケーンズ大阪、略記「RH大阪」の開幕4連勝、首位独走を支える。

 練習しないとうまくならない。その真理を2月13日で24歳になる土橋は知る。東洋大の時代は二部練習に早朝と居残りの二部を自分で加えた。この赤いジャージーのRH大阪でもその姿勢は不動である。

「箕内さんやバンジーに、もうやめておけ、って言われます」
 箕内拓郎やバンジーの愛称があるロビンス ブライスはアシスタントコーチとしての権限で止めにかかる。疲労の蓄積からのケガを恐れるからだ。土橋はそこまでやる。

 開幕から司令塔に座った感想を話す。
「うれしいです。でも上には上がいます。満足してはいけません」
 見上げる先には日本代表がある。

 そこに行き着くための目標がある。
「ディビジョン1に入ることです」
 代表入りは一部にいてこそ。RH大阪はディビジョン2。入替戦出場は8チーム中2位まで。今の勢いを保たせなければならない。

 土橋の体格は181センチ、85キロ。元々は60メートル級のキックを評価されていた。
「去年、個人練習でステップやアジリティー、スピードばかりやっていました」
 走りが改良される。タックルはいい。
「むちゃくちゃいきます。激しいです」
 チーム広報の才口將太は評する。

 ゲームコントロールなどは伊藤宏明に教わる。同じSO出身のアシスタントコーチだ。
「毎日勉強です。常に相手の枚数を見て、空いているスペースを探せ、と言われています」
 決め打ちのプレーは厳禁である。

 土橋にとって伊藤からのコーチングはSOとして初の本格的なものになる。伊藤は現役時代、日本代表キャップ2を得る。このRH大阪の前身、NTTドコモに在籍した。

 伊藤の指導もあって、成長著しい土橋は昨年9月、セブンズ(7人制)の日本代表に初めて選ばれた。韓国、中国を転戦する。
「世界はすごい。アスリートがいます。脚は速く、体は強い」
 大いに刺激を受けた。

 土橋にはRH大阪における和製司令塔の期待もかかる。チーム広報の才口は答える。
「久しぶりの本格的なSO? そうですね」
 才口は2009年から11年間、NTTドコモのFBだった。SOはキックに優れたリアン・フィルヨーンが一般の記憶に残っている。

 昨季も絶対的なSOはいなかった。順位決定戦を含め12戦の先発はブライス・ヘガティが5、呉嶺太(お・りょんて)が4、ボーク コリン雷神が3だった。

 土橋は昨季、FBとして5試合に出場した。
「10番の方が好きです。自分のコントロールで試合が作れますから」
 今季は首脳陣にコンバートを直訴した。

 SOは東洋大の時から慣れ親しんでいる。2年から正選手。3年で関東リーグ戦の一部に29年ぶりに昇格。4年で3位に入り、1959年(昭和34)の創部以来、初の大学選手権に出場した。59回大会(2022年度)は初戦の3回戦敗退。準優勝する早稲田に19-34だった。

 躍進の理由を土橋は監督の福永昇三が掲げた「凡事徹底」に見出す。
「チームが変わりました。あいさつや掃除など生活面がしっかりするようになりました」
 日々の生活がちゃらんぽらんでは、相手のある試合に勝つことは難しい。

 その東洋大には誘ってもらえた。高校は岩手の黒沢尻工。全国大会には3年とも出場する。2年からSOの正選手になった。その全国大会は97回(2017年度)。2回戦で京都成章に0-54と大敗した。

「ボコボコにされた悔しさから、岩手に帰って、雪の中でフルコンタクトの練習を毎日やりました。これまでにない強度でした。30~40分くらいはしたと思います」

 その甲斐あって、高3時は6月の東北大会で優勝。決勝は秋田中央を33-21で降す。98回大会はBシードに選ばれる。3回戦で同じBシードの常翔学園に28-50で敗れるが、3年間では最上位の成績になった。

 黒沢尻工には2つ上の兄、祐輝が通い、ラグビーをしていた。中学の3年間は矢巾レッドファイヤーズで過ごした。競技開始は小2だった。北上ラグビースクールである。父の博文は経験者ではないが、釜石SWのある街の出身でラグビーは身近だった。

 振り返れば岩手から上京、そして西下した。
「遠くへ来たと思います」
 すべて自分の意志である。
「親元を離れたり、知り合いがいない環境でやろう、と。その方が大きくなれます」
 武者修行の日々は依然として続いている。

 とはいえ、土橋はラグビーだけをしている訳ではない。仕事もしている。RH大阪は外国人を除き、全員が社員選手である。
「ラグビーを広げるためのアンバサダー活動や小学校のラグビー教室が今は多いですね」
 籍を置くのはNTTドコモの営業部。代理店への営業のための計画を立てる。

 関西での生活は気に入っている。
「人が温かいし、ノリや突っ込みも面白い。ごはんも安くて美味しいです」
 その環境でチームの昇格や桜のジャージーなどに挑める。煩いはない。幸せだ。

 ただ、自主練はほどほどに。ケガをしたら元も子もない。休息も練習のうちでっせー。

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