コラム 2024.12.13

【ラグリパWest】視線が集まる人㊦。金谷広樹 [大阪産業大学附属高校/ラグビー部コーチ]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】視線が集まる人㊦。金谷広樹 [大阪産業大学附属高校/ラグビー部コーチ]
大阪産業大学附属高校のラグビー部の新チームの1、2年生。この新チームも冬の全国大会、いわゆる「花園」出場を最終目標にする。後方の校舎はこの高校の祖になる大阪鉄道学校時代のものを改修、補強工事を施しつつ今も使っている

 金谷広樹(かなや・ひろき)は大阪産業大学附属高校、略称は「大産大附」のラグビー部コーチであり、保健・体育教員である。

 ラグビー部では監督の鳥山修司をサポートする。鳥山は金谷にとって茨田北(まったきた)の中学時代の恩師でもあった。

 大産大附は校内に人工芝グラウンドを有する。ここをサッカー、アメフトと使う。
「縦は100メートルほどありますが、横は58メートルなので公式戦では使えません」
 金谷は説明する。学校から東にある鶴見緑地のグラウンドを使ったりもする。その往復は走る。片道15分。よい追加の練習になる。

 この校内グラウンドを主にして1、2年生の新チームは基本練習を繰り返す。
「3年生ありき、でいなくなると同じことをしようとしてもできません」
 4人ラインで走り込みながらフラットでパスを出す。そのあとにポイントを作りながらボールに走り込む練習を重ねる。

 金谷が基本を大切にするのは、最初にラグビーを教わった鳥山に起因する。鳥山は右からのパスを受ける時、右足も出せ、と指導した。普通の指導は、両手を上げ、右にもってゆかせるだけである。そこに加える。

 金谷は解説する。
「こうすれば右足を軸にして腰を入れて放りやすいのです」
 同じことを東海大に入った時、コーチだった加藤尋久(ひろなが)にも言われた。2人とも基礎を大切にしながら、人の教えない部分にも光をあてる。

 加藤は神戸製鋼(現・神戸S)の現役時代、SOとして日本代表キャップ2を得る。母校の明大やキヤノン(現・横浜E)のコーチを歴任した。金谷は加藤や鳥山など非凡な指導者と出会い、基礎の大切さと目のつけ所の重要さを叩き込まれる。

 金谷の「仰星」と短縮される東海大仰星への進学は、鳥山と監督の土井崇司が親しかったことが背景にある。土井と初めて会った時のことは今も忘れない。
「タンスに」
 いきなり言われて、「ゴン」と返した。流行した防虫剤のコマーシャルだった。

 その返答を土井は否定的に見る。
「潜在意識を持ったまま、ウチに来ても勝てん。数年で高校ラグビーを変えてゆく」
 仰星はすでに金谷が中1の1999年度、会場の花園ラグビー場から「花園」と短縮される全国大会で初優勝をしている。79回大会の決勝は埼工大深谷(現・正智深谷)に31-7。主将は現・仰星監督の湯浅大智だった。

 土井はその言葉通り、グラウンドを縦に5分割して、どこにボールを運ぶかを決める画期的な「54321」などを編み出した。
「土井先生からは特にゲームの進め方や駆け引きを学びました」
 金谷が3年の時の1年生が仰星2回目の優勝を引き寄せる。86回大会の決勝は東福岡に19-5。SOは神戸Sの山中亮平だった。

 このあと仰星は花園での優勝を4回積み増して6回とする。歴代4位タイの記録である。ただ、金谷の高校3年間は啓光学園(現・常翔啓光)が強かった。戦後最長の4連覇する時期と重なった。

 金谷の花園出場は1回。2年時の83回大会である。この時は4強敗退。啓光学園に13-19だった。金谷は控え。正SOはひとつ上の森脇秀幸。森脇は高校日本代表になり、東海大からクボタ(現S東京ベイ)に進む。

 東海大では4年時、大学選手権で初の4強入りを経験する。45回大会(2008年度)は優勝する早大に12-36。金谷は3年冬に断裂したアキレス腱の予後が思わしくなく、メンバー入りはかなわなかった。現役時代の体格は174センチ、76キロだった。

 卒業の直前、恩師の鳥山の要請によってともに大産大附に赴任した。金谷はその2009年から朝、学校の周囲のゴミを拾って、校門に立ち、道行く人に、「おはようございます」とあいさつをし始めた。

 金谷はその理由を語る。
「ラグビーをよくするためには、地域にも貢献をしていかないといけません」
 応援してもらうためには、相応のことをしないといけない。今では部員たちが加わり、その朝活動は週3回になった。強制ではない。新チームになるたびに、「今年はどうする?」と金谷は問う。継続はその結果である。

 8時から始まるこの活動のため、大産大附では朝練習はない。平日、放課後の練習は午後4時から2時間ほどを費やす。そこから個人練習に入る。
「9時ごろまでやっている子もいます」
 金谷は個人練習も大切にする。そこで自分の長所を伸ばし、短所を矯めるからだ。

 基礎と個人の練習に注力する新チームの初の公式戦は府の新人戦(兼・近畿大会予選)になる。大産大附は3ブロックに分かれた新人戦でBブロックの4強戦から登場する。1月26日、大阪朝高との対戦が濃厚だ。
「目標は仰星を倒すこと。秋のリベンジです」
 勝てば翌週、仰星と対戦する公算が高い。

「今はめちゃくちゃ楽しいです。やりがいがある。学校の先生に魅力を感じています。仮に何らかの理由でラグビーを続けられなくなっても、教員は続けてゆくつもりです」

 勝負は勝ちを望むが、金谷は単なるクラブ指導者ではない。その根には教員がある。
「自分はありがたいことに鳥山先生と出会って、進む道が180度変わりました」
 教員にはそのような力があることを身をもって知る。鳥山と会わなければ、やんちゃのままどうなっていたかわからない。

「一生の長さを考えれば、中学や高校の3年はすごく短い。でもその時期はむちゃくちゃ大切やと思っています。そこで人は成長します。教員はそこに関われる喜びがある」

 人を育てる。その手段として、ラグビーを使う。まっすぐに視線を向けてくる部員たちを有為な人材にして世に送り出す。その先に紺に2本の水色ラインのジャージーが輝きを増していれば、この上ない幸せである。

(視線が集まる人、完)

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