胸に秘めた熱き想い。松永壮太朗[京産大/FL]
熱い闘志を内に秘め、ラグビーに励む。
そんな”京産大らしさ”に溢れた姿を見せるのは、4年生の松永壮太朗だ。
187センチ、100キロの長躯を活かした空中戦の強さと豊富な運動量を評価される。2年時から京産大のレギュラーを張ってきたフランカーだ。
ラグビー人生の始まりは小学4年生の頃。担任の先生の影響で、タグラグビーのクラブに入部した。
中学(勧修中)まではFWとBKのどちらも任され、さまざまなポジションでトライを獲る喜びを味わった。「どのスポーツよりも熱くなれる」。そんなラグビーが大好きになった。
高校は京都工学院を選んだ。
「自分たちの時は、京都の強豪校といえば京都成章でした。でも工学院は(伏見工時代に)全国優勝を4度経験している伝統校です。京都出身として、伝統のある工学院で勝ちたいと思いました」
毎年のように花園で上位に食い込む強さを見せていた成章ではなく、”信は力なり”を掲げる赤黒ジャージーの軍団に飛び込むことを選んだのである。
当時から人より背が高かったこともあり、高校からはFWに定着した。その体格と才能を見込まれて1年時からリザーブ入りし、2年時からはスタメンの座を勝ち取った。U17日本代表にも選ばれた。
しかし、京都成章の壁は想像以上に高かった。最後の京都府花園予選決勝は0-28で完封負けを喫した。
ただ、まだ花園行きのチャンスは残っていた。
この年(2020年)の花園は100回目の記念大会。出場校数は例年の51校から63校に増え、全国9ブロックから1チームずつ代表を決める「オータムチャレンジトーナメント」がおこなわれたのだ。
このトーナメントは各県の準優勝校で争われる。工学院は強豪ひしめく近畿ブロックで準決勝まで勝ち上がった。
それでも、後に花園出場を決める報徳学園に21-24で惜敗。ラストチャンスを掴みきれなかった。
この時足りないと感じたのは、“努力”だった。
「自分があまり活躍できませんでした。ミスもしてしまったし、どこかで満足していた部分があったのだと思います」
その悔しさを胸に、京産大の門を叩く。大学では日本一の練習量を誇るチームだ。そこに向かう覚悟はできていた。
「自分を強くできるのは京産だと思いました」
入部後は「一秒でも早く試合に出る」という目標を自分に課し、どんなにきつい練習にも必死に食らいついた。
しかし、高校と大学のレベルの差を痛感する。一番の違いはフィジカルだった。これまで得意としてきたプレーが通用しなくなり、2年時の関西大学リーグでは全試合に先発起用されてもなお、その課題を払しょくできずにいた。
変化が訪れたのはラストシーズンを迎える直前。今春のオフシーズンだった。
これまでと変わらず、トレーニングと食トレに明け暮れる日々を送っていると、それまでまったく増えなかったという体重が一気に8キロ増えたのだ。ついに3桁の大台に乗った。
思いの大きさが形になって現れたのだろう。「ラストシーズンパワーかな」と笑みをこぼす。
高校でも大学でも下級生時から先発で起用されてきたこれまでの出場歴を見れば、着実にチャンスを掴んできた順風満帆な競技人生を歩んできたようにも映るかもしれない。
しかし細部を見れば、これまで肉体改造だけではない苦い経験をしてきたとわかる。
大学2年時、3年時と、関西リーグこそ出場を続けるも、勝ち抜いた先の全国大学選手権ではほとんどチャンスをもらえなかった。
2年時は先輩との競争に敗れてメンバー外となり、3年時は準々決勝の早大戦で大きくリードを奪った終盤の10分弱のみだった。80分間ベンチを温めた試合もあった。
「大きな舞台では(コーチ陣から見れば)不安要素が残り、実力が足りていないから出られないのだと思いました」
悔しさを味わったからこそ気づけたこともある。
「メンバーに入っていても、出られない悔しさを僕は知っています。だからこそ、自分がスタメンで出るからには体を張ってプレーで見せたい。そうしないとメンバーに選ばれていない人や、ベンチで見てくれている人たちに顔向けできません」
そしてこの春、その思いをさらに強くさせた。
春の練習試合で膝を負傷した主力のCTB小野麟兵が、関西リーグの終盤もしくは選手権での復帰を目標に懸命なリハビリに励んでいるからだ。
工学院から7年間ともに戦ってきた“戦友”の姿は、前へ進む原動力となっている。
「麟兵がめちゃくちゃ頑張っているのを見てきました。良い形で迎えられるようにチーム力をもっとあげたいと思っています」
仲間への思いはなにも小野だけに限った話ではない。朴訥な松永が力強く口にしたのは、「みんなと優勝したい」という強い思いだ。
今度こそ国立の地を踏みしめ、仲間と優勝トロフィーを空に掲げたい。
その瞬間まで満足はしない。過去の自分から学んだ教訓だ。
努力を重ねる大義はまだある。
「一番に体のことを心配してくれているし、プラスになることは全部進んでやってくれます。いまラグビーができているのも、お母さんのおかげです」
母・則子さんは毎試合会場に足を運び、その雄姿を見守ってくれているという。息子ははにかむ。
「一番の恩返しは、大学日本一になること、かな」
日本一の孝行息子になる。