南国と雪国で育った。天理大のパトリック ・ヴァカタが日本一へ決意。
暴れた。
天理大ラグビー部4年のパトリック ・ヴァカタが、9月22日、東大阪市花園ラグビー場での関西大学Aリーグの開幕節にNO8で先発フル出場。肉弾戦でのしぶとさがいつも以上に問われそうな土砂降りのスタジアムにあって、身長189センチ、体重115キロのサイズを活かした。攻守でインパクトを示した。
特に、12点を先行して迎えた前半23分頃のジャッカルは圧巻だった。自陣10メートル線付近中央で走者の持つ球へ絡み、迫りくるサポート役を上腕で跳ね飛ばした。
17点リードの後半12分には、自陣ゴール前中央のラックに腕を差し込み、援護役を抑え込むことでペナルティーキックを獲得。ピンチを脱した。
「たまたまです」と笑うも、妙技を繰り出す手順を整理していたのも確かだ。
「相手がこっち(自分の手前)に寝転んだら、それを狙うだけです」
ジャッカルが、仕掛けた際の姿勢やタイミング次第で反則を取られかねないプレーであることも把握。担当レフリーに「(ジャッカルをするなら)ちゃんと(自立して)ボールを獲って。(向こうがボールを)手放さなかったら(敵側の)反則」と事前に通告を受け、それも念頭に置いた。
この午後は、身長170センチのHO、寺西翔生ら小柄な味方FWも献身した。前年度の順位で5つ下回る7位の摂南大を、22―7で下した。
プレイヤー・オブ・ザ・マッチに輝いたヴァカタは、初戦勝利に安どした。ファイトスタイルとは対照的に口ぶりは穏やかだ。
「難しい試合になるのはわかっていました。摂南大も結構、いい準備をしてきたので。自分らは、まだこれから上げていく。きょう出た課題を次に修正できるよう頑張っていきます。ミスが起きても、それをカバーできるようにしたい。落ち着いて、コミュニケーションを取って、チームの動きをやっていきたいです」
中学、高校、先輩と直属の先輩となるジャパン経験者のシオサイア・フィフィタは、自身の兄と同級生だった。ヴァカタが母国のトンガカレッジから日本航空石川に入ったのは、いまから約7年前のこと。当初こそホームシックを覚えたものの、徐々に適応した。まずは現地の友達に積極的に話しかけることで、日本語を覚えた。
「間違えたところは教えてもらって、調整していきました。日本人と一緒にいたほうが、言葉が喋れる」
北陸の豪雪地帯にある通称「航空石川」では、この国にあって競技の盛んな大阪の学生もよく集まっていた。ヴァカタは来日して最初の冬、初めて雪を見たのが自分だけではなかったことに驚いた。異国での発見を楽しんだ。
天理大では1年目から出番を掴み、3年時は全国4強入り。最終学年になり、クラブにとり4季ぶりの日本一を目指す矢先、悲しみに襲われた。
新チームの始動時、同級生でCTBの上野颯汰が帰省先の岐阜県から天理に戻ってこなかった。帰らぬ人となった。
小松節夫監督は、保護者の捜索願を経て事件性がないと知った。
守備範囲の広さと恵まれた体格で鳴らした上野は、在籍期間中、試合のメンバーから外して欲しいと申し出たことがあったようだ。約150名の部員を抱える指揮官は、上野を教えていた頃をこう振り返る。
「色んなことに悩んでいたのかな、というのは、想像できます。ラグビーのことがその何割を占めるのかはわかりませんが…。(指導者として)もうちょっとこうしたら、ああしたら、という思いも…」
このクラブにコーチとして携わり始めて32年目にして、初めての事態を迎えた。様々な理由で約10名の退部者が出たこともあり、春先はチーム作りに苦しんだ。
フィールド内で独創性とタフネスの掛け合わせを重んじてきた小松は、複数の卒業生からは聡明な相談役と見られている。今度の件には、「あえて皆を集めて『上野のために』と伝えることはしない。それぞれで(思うこと)」。仲間を失った事実との向き合い方は、各自に委ねた。それが最適解だと感じた。
ヴァカタは、静かに決意を明かす。
「彼のぶんまで。そういう思いを持って頑張っています。(全国)優勝することで、彼が一番、喜ぶかなと」
卒業後はリーグワンへ加わり日本代表入りを目指す青年は、学生ラストイヤーに勝ち切る大義を胸に秘める。これから出かける全ての試合会場において、笑顔でノーサイドを迎えるつもりだ。
29日は奈良・天理親里競技場で、昨季8位の同大に挑む。