コラム 2024.09.03

【ラグリパWest】先手をとる。土井崇司 [東海大相模高校・中等部/校長]

[ 鎮 勝也 ]
【キーワード】,
【ラグリパWest】先手をとる。土井崇司 [東海大相模高校・中等部/校長]
夏は甲子園で過ごした東海大相模の土井崇司校長。106回目の選手権に出場した野球部員たちを応援した。土井校長の信条は「先手をとる」。それはこの甲子園でも、初代監督として東海大仰星を全国高校ラグビーで初優勝させた時も変わらない

 先手をとる。

 それは土井崇司の人生哲学でもある。来月10月、65歳になる。

 その哲学は、東海大相模の中高の校長になっても、東海大仰星を初の高校ラグビー日本一に導いた時も、グレーがかったその人を魅了する目の輝き同様、変わらない。

 この夏、土井は甲子園にいた。東海大相模は神奈川の県予選で8連勝。1915年(大正4)から106回目となる選手権に駒を進めた。

「初戦の前になって、その準備や引率を含めて教員の人数が足りない、という話が耳に入ってきました。ウチの高校は野球以外にも部活動が盛んで、先生方はみな忙しい。ほな、俺が行くわ、と手を挙げました」

 土井は校長という高みから降り、ひとりの教員になる。初戦の2回戦は8月12日だった。東海大相模は富山商を4-0と完封する。午前の試合だったため、その日のうちに土井を含めた応援者たちは帰神した。

 次の3回戦は4日後の16日だった。ところが、その前に台風7号が関東に直撃する予想が流れた。土井は応援のため先手をとる。

「台風が予想通りに来れば新幹線が止まる。そうなれば大変です。帰られなくなってしまう。急きょ14日の午前中に旅行代理店の人たちと計画を練り直しました」

 16日の広陵戦は朝8時のプレーボールだった。当初は前泊だけの予定だったが、後泊も加える。参加希望者にはメールで再度確認をとった。宿泊先は京都に変更。甲子園のある兵庫からは離れるが、街は修学旅行を受け入れるため、収容力があった。

 台風は関東に上陸せず、千葉をかすめる形になったが、土井の読み通り、16日の終日、新幹線は名古屋と東京の間で運休した。飛行機も欠航。先手をとらねば、150人ほどの応援の高校生たちは帰る手段も宿もなく、パニックになっていたことは想像に難くない。

 土井が先手をとったのは今回だけではない。四半世紀ほど前もそうだった。全国高校ラグビーの決勝である。79回大会(1999年度)だった。監督として率いた東海大仰星の最後の戦いは埼工大深谷(現・正智深谷)だった。

 埼工大深谷は2人のトンガ人留学生をFWに擁していた。左FLにはコリニアシ・ホラニ、NO8はマナセ・フォラウ。今の海外からのラグビー留学生のはしりである。

 2人とものちに日本に帰化し、ホラニはホラニ龍コリニアシ、フォラウはフォラウ愛世となった。ホラニは日本代表として45キャップを得る。今は埼玉WKのFWコーチだ。このチームで現役時代も過ごした。

 この2人を自由に動かさないため、監督だった土井は先手をとる。
「スクラムは1番が出る。こうするとウチの右サイドを突きにくくなります」
 斜めになることによって、右FLの土井慎介とフォラウの距離が縮まり、タックルに行きやすくなる。

 土井はSHの吉田朋生(ともき)にも指示を出している。
「スクラムに張りつけ」
 吉田をフォラウの間近に寄せることによってサイドアタックを封じる。

 ラックサイドに立つ防御者には飛び出させた。推進力のある外国人留学生は走り始めたら止めることは難しい。ボールを持った瞬間に体をぶつけにゆく。3人が前に出るタックルで動きを止める映像が残っている。

 これらの戦術は今では当たり前だが、当時としては新しいことだった。土井の先手はことごく当たる。留学生たちを封じ込め、最終的には31-7と差をつけた。優勝の表彰状を受け取ったのは主将で左FLの湯浅大智。現在の二代目監督である。

 東海大仰星への土井の赴任は1984年(昭和59)。東海大ではSOとしてならし、卒業後の1年は大阪の府立校で保健・体育の講師をやり、この付属校に移った。同年、ラグビー部を創部する。そして、0から自力のみで16年目に日本一を成し遂げた。

 湯浅に引き継がれた紺主体のジャージーは全国大会の優勝回数を歴代4位の6とする。土井は総監督として、93回大会での3回目の優勝のあと、2014年春に東海大の本部に異動した。そして6年後、東海大相模の中高校長についた。今年、5年目である。

 土井はこの夏、36年ぶりに菅平に上がらなかった。ラグビー合宿のメッカでは、東海大相模につき、教え子でもある監督の三木雄介をサポートするつもりだった。
「でも、長としてすることではありません」
 優先順位を校務と野球に置いた。そのことを当然として、後悔はない。

 東海大相模は8月19日、甲子園8強戦で敗れた。関東第一に1-2だった。九回裏、二死一、二塁と水色の縦ジマは最後まで紫を攻め立てた。土井はチームをねぎらう。
「よくやってくれました」
 関東第一は決勝に進み、延長10回タイブレイクの末、京都国際に1-2で競り負けた。東海大相模は3回目の夏の頂点に近かったことを証明したことになる。

 その軸のひとりは198センチの左腕、藤田琉生(りゅうせい)。U18日本代表でもある。冗談まじりに土井に短いメールを送った。
<ラグビーをしてくれませんかね?>
 即答だった。
<プロでしょう!>
 今秋のドラフトの上位候補。東海大の野球部監督にはOBの長谷川国利が控える。巨人のスカウト部長などを歴任した。

 藤田の背丈や動きならジャパンの和製LOが十分に視野に入る。しかし、残念ながらラグビーは野球に先手をとられた。

PICK UP