フランスラグビーにまたも衝撃。フランスU18代表選手が南アフリカで海難事故。
男子7人制の金メダルの喜びも束の間、フランス協会は新たな悲劇に襲われている。
南アフリカで8月12日から16日にかけておこなわれたU18インターナショナルシリーズに参加するために現地に滞在していたフランスU18代表の選手が、海難事故で行方不明になった。
この大会は、南アフリカ、イングランド、アイルランド、ジョージア、そしてフランスの間で行われる予定だった。
フランスU18代表は、大会準備のために7月31日に現地入りし、現地のウェスタン・プロヴィンスのU18と準備試合をおこなったところだった。
8月7日の午後、チームは喜望峰の東側に位置するディアスビーチでリカバリーセッションを行なっていた。全員が海から上がろうとしていた時、SHメディ・ナルジシとFLオスカー・ブテーズが波にさらわれた。さらに流されそうになるナルジシをブテーズは助けようとした。ナルジシはブテーズの肩になんとか捕まることに成功したが、次に襲ってきた波がナルジシを沖の方へ連れ去り、岸に辿り着けたのはブテーズだけだった。
事故に気付いた巡回中のテーブルマウンテン国立公園のレンジャーが国立海難救助研究所に通報したのが15時16分。船、ヘリコプター、ドローン、ダイバーが出動し、日が暮れるまで捜索救助にあたったが、ナルジシを見つけることはできなかった。
国立海難救助研究所はリップカレント(離陸流)にさらわれたのではと見ている。捜索当時、波の高さは3〜4m、風速15ノット(約7.71m/s)の風が北から吹きつけていた。
ディアスビーチに降りていく遊歩道の入り口には、「警告:リップカレント、遊泳危険」と書かれた標識が立っている。現在は「喜望峰」と呼ばれているが、1488年にこの岬に初めてヨーロッパ人として到達したポルトガルのバルトロメウ・ディアスはひどい嵐に遭遇し、「嵐の岬」と名付けたほど、この付近の海は荒れることで知られている。
現地から知らせを受けたフランス協会は、翌日、ナルジシの家族を現地に向かわせると同時に、副テクニカル・ディレクターのジャン=マーク・ベドレードを派遣し、現地調査に当たらせた。また、現地でフランス語を話せる心理カウンセラーを見つけ、選手やスタッフの心のケアに当たった。大会参加は中止し、事故の2日後に全員帰国させた。
レキップ紙のインタビューに答えたフランス協会のフロリアン・グリル会長は、「大変つらく、悲痛な思いで事態を受け止めています」と心情を語り、「国際協定では15日間と決まっている捜索期間を必要なだけ続けられるように、領事館、大使館、省庁、南アフリカ協会、そして救助隊と連絡をとっています」と現地の捜索活動について述べた。
協会でもスタッフへの聞き取り調査を始めた。
「スタッフ全員の話を聞いたが、現地で進めている調査、また南アフリカ警察の調査結果と照らし合わせて判断する。このリカバリーセッションは予定されていた。しかし、このビーチで行われる予定ではなかった。なぜ、このビーチでおこなわれたのか? 誰が、どのような経緯で、ここでおこなう決定をしたのかを知る必要がある。ナルジシ一家に対して、またフランスラグビー界に対してクリアにする義務がある」
「これが事故なのか、過失なのか。過失であれば、当然罰せられなければならない。法によって、また協会によって罰せられる。我々は、組織や特定の個人を守るためにここにいるのではない」と強固な姿勢を示した。
グリル会長は、訴訟を起こされても当然だと思っているとナルジシの父親に伝えたことも明らかにした。
「ご家族のお怒りはごもっとも。私が父親の立場であれば、きっとそうするでしょう。協会を訴える動きがあっても、それは当然であり、理にかなっていて、私たちは責任を持って応じなければならないと協会の職員にすでに伝えました」
その後、協会は、現地で調査に当たっているベドレードから、「リカバリーセッションに選んだ場所は危険で、この場所の選択は個人または集団での過失を認めるに足る判断ミス」と報告を受け、調査の最終的な結果が出るまでの措置として、U18代表スタッフの業務を一時的に停止することを発表した。
今後は、心理状態に細心の注意を払いながら、選手からも聞き取り調査をおこなう。
これを書いている8月19日現在、ナルジシはまだ見つかっていない。
7月のアルゼンチンでの代表選手の不祥事に続き、今回の悲劇。すべてのカテゴリーの代表チームのマネジメントを見直す必要に迫られている。
「これまでのシステムでは通用しないのは明らか。変化しなければならない」
協会にとって、グリル会長にとって、とても厳しい夏になった。