国内 2024.06.28

トライ・トライ・トライ。ラグビー普及に尽力する中田孝成さん。

[ 多羅正崇 ]
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トライ・トライ・トライ。ラグビー普及に尽力する中田孝成さん。
中田孝成さん(写真:本人提供)
高校時代はスタンドオフ。50代半ばまでHO以外の禅ポジションで試合に出場した(写真:本人提供)

 座右の銘は「レッツ・トライ」。その言葉を体現する人生だ。

 ラグビーの普及に尽力する中田孝成さん。

 生まれ育った神戸で経営コンサルティング会社を経営しながら、日本代表チームディレクター補佐・廣瀬俊朗さんが理事長を務めるNPO「One Rugby」の監事や、ブラインドラグビー協会のレフリー委員長などを務める。
 ラグビー愛が高じて「都来(とらい)」と名付けた長男は、筑波大学ラグビー部を経て医師となった。

 その長男・都来さんは幼少期、父の職業を聞かれると「勉強」と答えていたという。

 これまで取得した資格は約300といい、行政書士からラグビーレフリー、僧侶やゾウ使い(!)に至るまで幅広い分野に及ぶ。

 資格取得のきっかけは、関西大学卒業後に入社したリクルート社員時代。社内に資格取得を補助する制度があった。

「学びはお金を払うものだと思っていましたが、資格を取るとお金をくれた。なんて良いシステムなんやと資格を取り始めて、そこがスタートでした」(中田さん)

 1989年の会社設立後も勉強を続け、神戸大学や京都大学を含む10校の大学院を修了。現在は青森・弘前大学の大学院(医学研究科)に学んでいる。

 ここまで知識の取得にこだわる理由は、生来の勉強好きという点と、本業に役立つためだ。

「うちの会社はコンサル業で、さまざまな業界の方々と関わります。多くの知識があれば、共通の話題を持てますし、根拠を持って話すことができます。コンサルの方はたくさんいるので知識を持つことが差別化にもつながります。『知識は仕入れ』と考えていて、これからも勉強は続けていきます」

 本当はやりたいのに、やらずに諦めることが苦手だ。

 やろうと思ったら必ずチャレンジする。40代半ばからはフルマラソンを始めた。52歳の時には5週連続のマラソンに挑戦。大阪、神戸、岡山、兵庫・小野(ハーフ)ときて、5週目は飛行機に飛び乗って、ハワイのホノルルマラソンを妻と共に完走した。

 50歳を過ぎてからは興味のあった柔術を始めた。現在はラグビーの他に柔術のレフリーとしても活動する。

「息子の名前ではないですが、これからもいろんなことトライしたいですね。たとえば検定で失敗しても、その過程で知識を得られます。失うものはないですよね」

 1965年生まれの中田さんは神戸・星陵高校でラグビーに出会った。

 社会人になってもクラブラグビーで「フッカー以外の全ポジション」(中田さん)を経験。40歳の時に脳しんとうで半年間失語症になったが、プレーは止められず50代半ばまでピッチを駆けた。

 失語症になった時期は講演依頼を断るなど、仕事に大きな支障がでた。それでもプレーを続けるくらいラグビーが好きだ。

「脳しんとうの時は覚えていないので、プレーに対する恐怖はないんですよね(笑)。でも続けるのは、タックルされる瞬間、敵と味方の数を把握して一瞬にしてすごく考えますよね。あの感覚がすごく好きなんです」

「そこで判断ミスをしても仲間がサポートしてくれるところも、試合中に仲間を絶対に責めないところも、ラグビーの良いところですね」

 今後ラグビー界で実現したい夢のひとつは、タグラグビーW杯の日本大会実現だ。中田さんはタグラグビー日本代表として、2012年W杯ニュージーランド大会などに出場した経験があり、直近の23年アイルランド大会はオーバー50枠で参加。タグのレフリーとしても活動している。

「最短で実現するとしたら6年後の2030年です。そのために一つ越えたいハードルは、キックもできる世界基準のタグの普及です(日本で普及のタグはキック禁止)。タグのワールドカップ日本開催はぜひチャレンジしたいです」

 実現できるか不安になる前に、まずは動いてみる。トライあるのみ。中田さんのチャレンジは終わらない。

マラソンは40代半ばで始めた(写真:本人提供)
ラオスのゾウ使いの資格も持っている(写真:本人提供)

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