コラム 2024.06.27

【ラグリパWest】164センチでもFWでやれる。宮﨑達也[東京サントリーサンゴリアス/HO]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】164センチでもFWでやれる。宮﨑達也[東京サントリーサンゴリアス/HO]
秩父宮ラグビー場のグラウンドに入る宮﨑達也。東京サントリーサンゴリアスのHOである。164センチと小柄ながらフィールドプレーやスクラムなどで輝きを放つ。黒のヘッドキャップをかぶる右の選手はWTBのチェスリン・コルビ。そのさらに右にはリーグワン優勝チームに贈られるトロフィーが置かれている(撮影/松本かおり)

 フランスのことわざがある。
<よく鍛えられた大男は、よく鍛えられた小男に勝る>
 真逆のラグビー選手がいる。

 宮﨑達也だ。身長は164センチ。この小ささでスクラムの中央、HOに入る。所属は東京サントリーサンゴリアスである。
「身長を不利に感じたことはありません。タックルに入りやすいし、入られにくいです」
 笑うと目がなくなる。曲線が立体感に富む顔を作る。28歳ではなく、中学生っぽい。

 宮﨑は閉幕したリーグワンで、短縮形「東京SG」の黄色いジャージーをまとい、ラスト4試合に連続出場した。皮きりは4月27日のBL東京戦だった。

 後半24分、モールから左を突き、95キロある体をインゴールに沈みこませた。
「いいタイミングで出られたと思います。トライができて嬉しかったです」
 2メートルを超え、日本代表でもあるLOのワーナー・ディアンズはグラウンディング阻止のため、下から体をあてがうことができなかった。小柄の優位点を存分に示す。

 その6分後、トライのアシストをする。内返しのパスをPR小林賢太に通した。最後はWTB江見翔太がラックからダイブする。
「ああいうパスは得意です。求められていることができたと思います」
 宮﨑は出場10分ほどで、1トライ、1アシストを決めたことになる。

 このBL東京戦、27-36と敗れたが、宮崎は東京SG在籍2シーズン、33試合目にして、初の公式戦出場を勝ち取る。トライも社会人初。その前に2シーズン在籍して休部になった宗像Bを通してもなかった。

 東京SGのHOは、先発が主将であり日本代表キャップ7を持つ堀越康介、控えは呉季依典(ご・きえのり)と相場が決まっていた。このBL東京戦、宮﨑は堀越に替わって後半20分からの出場だった。

 リーグ15戦目まで宮﨑は2試合、リザーブ入りした。どちらも「堀越入替」のカードは切られなかった。
「やってやろう、という思いがありました」
 これまでを否定的にはとらえなかった。
「そういう境遇の人が結構多いです」
 リーグ優勝に絡む東京SGのレベルは高い。

 5歳上の中村亮土(りょうと)からかけられた言葉は響いた。
「チャンスは必ず来る。来た時にくさっていたら100パーセントの力を出せない」
 中村は不動のCTBとして日本代表キャップは39を数える。

 その宮﨑には今、ルールの追い風も吹いている。胸骨から上へのタックルは、ハイタックルと判定され、ペナルティーが与えられる。相手チームには3点を失う恐怖がある。

 この小さなHOを東京SGに導いたのは監督の田中澄憲(きよのり)だった。
「僕のことを覚えてくれていたようです」
 宮﨑は京産大の3年生HOとして当時、田中がヘッドコーチだった明大と対戦した。54回目の大学選手権(2017年度)では、8強戦で明大が27-21で勝利した。

 その田中の後押しもあり、2022年の11月、正式入団をする。
「どこも行くところがない状態から、東京SGに決まって、びっくりしました」
 宗像Bの休部はその半年ほど前。3人目のエージェントが田中と旧知の間柄であり、話がつながった。スタートは練習生だった。

 京産大からの入団も初めてだと聞いた。
「頑張って、このチームに長くおれたら、後輩たちも来やすくなると思います」
 その京産大に進んだ理由を話す。
「トップリーグに入りたかった。そのためにはスクラムが強くないと、と思いました」
 リーグワンの前身に自らを届かすため、強力スクラムの京産大入学を志願する。

 スクラム練習は平日でも1時間。週末は2時間以上やった。当時、監督だった大西健(現・相談役)がつきっきりで指導した。
「スクラム練習が終わった後、タイヤ押しがあるのですが、それがきつかった」
 四つん這いの姿勢を作って、トラック用のタイヤを押し、22メートルを往復した。

 そのスクラムも含め、採用してくれた東京SGでは自分の役割を理解している。
「僕経由でみんなが活躍できるようにしたい。ボールを持って当たったり、抜いたり、キャリーするのが好きな選手が多いですから」

 宮﨑は「僕経由」を確立させるため、日々のコミュニケーションに重点を置く。
「自分から話しかけて、その選手をもっと知るようにしています
 意思疎通をプレーにつなげる。トレーニングはスクワットに注力する。追走、パスなど仲間を生かすのは下半身の安定が不可欠だ。

 BL東京戦に続き、リーグ最終16戦目のS東京ベイ戦は先発できた。プレーオフ2試合も交替出場する。3位入りに貢献した。

 東京SGにつながる競技を始めたのは小4だった。南京都ラグビースクールである。
「友だちのお兄ちゃんがやっていました」
 小学校卒業までSHやSOをこなした。パスのうまさの原点はここにある。
「中学になるとグラウンドが大きくなり、球さばきが追いつかなくなりました」
 HOに移る。伏見中で3年を過ごす。

 高校は伏見工(現・京都工学院)を選んだ。姉の一恵がマネージャー、兄の勝也はSOだった。5歳と2歳上だった。
「ランパスは2時間以上。しんどかったです」
 100メートルを5人ほどでボールをつなぎ往復する練習の洗礼を受ける。

 選手としての全国大会出場はなかったが、そのランニングは伏見工、スクラムは京産大、アンストラクチャーからの展開は宗像Bで鍛えられた。そこに東京SGのリーグトップのラグビーが加わった。

 宮﨑は力を込める。
「子供たちに、体が大きくなくてもできるんやぞ、というのを見せたいです」
 小さいHOの活躍の先に、相対的に小柄な民族が進むべき道が見える。その164センチの体には日本ラグビーの希望が詰まっているといっても言い過ぎではないだろう。

 母校の京都工学院に帰って、大島淳史監督と談笑する東京サントリーサンゴリアスのHO宮﨑達也。宮﨑が通った時の校名は伏見工。OBでもある大島監督は宮﨑が3年の時に赴任。コーチとして指導している

PICK UP