コラム 2024.05.10

【ラグリパWest】兄の思い。田中健太[花園近鉄ライナーズ/PR]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】兄の思い。田中健太[花園近鉄ライナーズ/PR]
密集を押す花園近鉄ライナーズの左PR田中健太(頭にテーピングを巻いている)。この5月5日の相模原DB戦はこの相手チームに所属する弟のFL伸弥にとって最初にして最後の公式戦になった。2人は1分30秒ほど同じ花園ラグビー場のピッチに立った(撮影:平本芳臣)

 田中健太の視線の先には弟がいた。

「ニコニコしながらピッチに入ってきました。僕は疲れていたけど、その姿を見て、なんかいいなあ、と思いました」

 健太の日に焼けた切れ長の目は笑みで横に伸びる。花園近鉄ライナーズ所属の30歳。たったひとりの兄弟、2つ下の弟は伸弥。三菱重工相模原ダイナボアーズにいる。

 花園Lと相模原DBと短縮される両チームは5月5日、花園ラグビー場で戦った。健太は左PRとして先発。伸弥はFLの控えとして、後半21分に入れ替わった。

 その時、6273人が詰めかけたスタンドからはひと際大きな拍手が巻き起こった。伸弥はがんを克服して、若命(わかめ)あふれる緑色の芝生に立った。社会人5季目で初の公式戦出場だった。そして、この試合を最後に退団することも決まっていた。

 兄弟が同じグラウンドで相まみえたのは1分30秒ほど。マッチアップはなかった。健太はベンチに下がる。
「スタンドが沸いて、弟が誇らしかったです」
 大学、社会人を通じて、兄弟が対戦したのは初めてだった。

 伸弥はフィジカルで鳴るFLである。肺の胸腺に悪性腫瘍ができたのは近大4年の時だった。2017年の秋。健太は振り返る。
「現実のものとして認識できず、走って病院に行きました」
 励ましのため、当時の近鉄ライナーズの選手全員がサインしてくれたジャージーを届けたりもした。

 がんは抗がん剤治療と2度の手術で一度は寛解する。相模原DBも伸弥を支えた。当初の予定では卒業後の2018年4月、プロでの入団が決まっていた。チームは契約を破棄することなく、1年後に入団を延期した。

 がんは2年前に再発。再び2度の手術を受けた。トレーニングの再開は昨秋。そして、この一戦につなげた。
「すごいと思います。僕ならここまできていません」
 強い気持ちで病魔を克服した生きざまは、弟ながら健太にとっては尊敬に値する。

 兄弟が戦った日、父・紀宏と母・敦子も花園を訪れた。母は緑の相模原DBのパーカーを着ていた。この日はこどもの日。両親のよろこびは、推して知るべし、である。

 このラグビーという競技への道を開いたのは兄だった。健太は大阪・生野の中学、田島に入学後に始めた。
「誘われてやってみて、楽しかったのです」
 高校は大阪の中学選抜に入ったことを評価してくれた大阪桐蔭を選んだ。

 当時はPRではなくFLだった。全国大会は2年時の90回大会(2010年度)に出場する。3回戦敗退。佐賀工には12-7と競り勝ち、東福岡には12-35で敗れた。

「佐賀工の試合で指を脱臼しました。とっさに自分でバーンって入れました。ヒガシの試合はその痛い指でジャッカルができました」
 健太も伸弥に負けない根性がある。

 大学は指定校推薦で明治に入学する。
「この4年間がなかったら、今の僕はありません。すごいやつらとプレーできました」
 同期は中村駿太、松橋周平、田村熙(ひかる)らの名前が挙がる。主将になったHOの中村は横浜E、FLの松橋はBR東京、SOの田村は浦安DRで現役を続けている。

 1度だけ、早明戦に出た。4年時、FLで先発した。秩父宮ラグビー場だった。
「地響きが起こり、会場が揺れました。今まで味わったことがありませんでした」
 試合は32-24で勝利。トライも挙げた。続く大学選手権は52回大会(2015年度)。4強戦で東海に19-28で敗れた。

 近鉄ライナーズは「PRに転向するなら」という条件で獲ってくれた。
「アフター練習を3時間しました。一番遅く帰ろう、と。食べてプロテインも飲みました」
 体重は10キロ増え、100キロを超えた。今の体は177センチ、104キロである。

 リーグワンの前身であるトップリーグの初出場は1年目の2016年。12月25日の神戸製鋼戦(現・神戸S)で左PRとして先発する。試合は8-38で敗れたが、コンバート後、9か月での出場は能力の高さを示している。

 スクラムは6歳上のHO、樫本敦を中心に教えてもらった。
「カシさんは、おまえヘボやなあ、って言いながら練習に付き合ってくれました」
 樫本の協力などとPR転向8季目の経験が溶け合い、スクラムが理解できてきている。

「いい姿勢、というのは、相手ありき、ということがわかってきました。相手がいる中で、どれだけ形を作れるか」

 マシンではなく、対人で勝つために必要なことを健太は続ける。
「左PRはHOとのコネクトがもっとも大切です。HOとの背中をまっすぐにする。段差を作ってはいけません」
 左側から一枚岩になって当たる、押す。

 相模原DB戦では前半11分、この試合2回目のスクラムでコラプシングを奪った。
「いいヒットができました」
 HOの金子惠一との息が合う。

 健太は昨季、入替戦を含め18戦中17試合出場。今季はここまで16戦中14試合に出場した。花園Lの軸になってきている。

 スクラムは優勢だったが、展開力の差でこの相模原DBとのリーグ最終戦は36-46で敗れた。花園Lはこのレギュラーシーズン、16戦1勝15敗、勝ち点6で2年連続して最下位の12位に沈んだ。5月18、24日の両日には浦安DRと入替戦を戦う。

 健太はその大一番を見据える。
「僕は常に弟を思って試合をしています」
 伸弥は退団するが、他チームでの現役続行を望んでいる。勝利は伸弥にエールを送ることになる上に、チームのため、自分自身のためでもある。健太はさまざまなものを背負い「マスト・ウィン」の戦いに挑みゆく。

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