海外 2024.05.02

【池田韻レフリー フィジー留学リポート/vol.3】3か月の活動、生活で感じたラグビーへの深い愛情。

[ 田村一博 ]
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【池田韻レフリー フィジー留学リポート/vol.3】3か月の活動、生活で感じたラグビーへの深い愛情。
ワールドラグビー・セブンズシリーズでも笛を吹く友人のラベニアと。(本人提供/以下、同)



 タフになった。そして、感謝の気持ちがあらためて強くなった。
 1月からフィジーでレフリー活動を続けていた池田韻(ひびき)レフリーが、現地での滞在を終えて4月2日に帰国した。

 昼にナンディを発ち、同日の夕方に日本着。空港には、ラウトカ地区レフリーアソシエーションのプレジデントと奥さん、レフリー仲間が見送りに来てくれた。
 通っていた語学学校の友人の姿もあった。

ラウトカ協会の新レフリージャージー

 3月28日は涙がこぼれた。
 その日はラウトカ地区のレフリーたちに新しいシャージーが配られる日だった。
 仲間たちが集まる。フェアウェルパーティーを開いてくれた。

 手作りのケーキとレフリーアソシエーションからの感謝状が贈られた。
 お別れの挨拶を、と促されてみんなの前に立った。感謝の気持ちを伝え、いろんな場所へ行って笛を吹いたこと、レフリー仲間とのトレーニングの日々を思い浮かべながら、思いを伝えた。

 寂しくなる。またフィジーに戻って来たい。そんなことを伝えていたら涙が出た。
 もちろん、そのあとには伝統的なリラックスタイム、カヴァパーティーが待っていた。笑顔が絶えなかった。

フェアウェルパーティーでは手作り、メッセージ入りのケーキが贈られた

 南の島での生活を振り返った時に感じるのは、日本でのレフリー活動が、いかに恵まれているかということだ。あらためて、そう思った。
 フィジーには、日本では考えられない環境があった。キックオフに遅れるチームもあれば、水浸しで凸凹のグラウンド。試合会場へ、深夜、早朝のバス移動もある。

「そういう環境の中で頑張っている人たちが、たくさんいました。自分は(日本で)恵まれていると理解して行動していると思っていましたが、あらためてちゃんとしないといけない、自分を顧みないといけないと強く感じました」

 帰国前の1か月は、大規模な大会、『マリストセブンズ』で笛を吹いた。15人制の試合を担当することも多かった。
 女子の州対抗戦『MARAMA CHAMPIONSHIP』がある。U20カテゴリーとシニアチームの試合がおこなわれる中で、シニアを担当。経験を積んだ。

 男女の様々なカテゴリーを担当する中で、試合中、選手からいろんな声が飛んでくる。
 落ち着いた態度で、「サー(Sir)」と頭につけて話してくる者もいれば、ルールの理解が低い選手が食ってかかってくることもあった。
 そんな時、「こちらからは、こう見えましたよ」と、堂々と言える度胸がついた。

 3か月でレフリングの技術が飛躍的に伸びたわけではないだろう。ただ、試合前のブリーフィングや試合中に英語でコミュニケーションを取る経験はたくさん積めた。
 自分がマッチオフィシャルを務めることは「officiate」と言えば伝わる。
「improperly」も便利だ。例えばクイックスローが適切におこなわれなかった時などに、短い言葉で伝えられる。

お別れ会のあとには当然、カヴァパーティー

 なにより、環境が整っていない中でも自分のパフォーマンスをしっかり出す逞しさが増した気がする。
 言葉の壁。グラウンド状態の悪さもあれば、時間に大らかなところもある国民性だ。キックオフ時間がズレることも珍しくない。
「そんな、自分でコントロールできないことに対しての強さは身についたように思います」

 フィジーは思っていた以上にラグビーの国だった。
「みんながラグビーのために生きている、という感覚でした」と話す。「本当にどんな人でもラグビーを知っているし、ラグビーを見に駆けつけます」。

 スタジアムや試合会場の状態や、大会や試合開催時のエンタメ企画などは、日本ほど整っていないけれど、ファンが心の底から楽しんでいることがいつも伝わってきた。
 ラグビー場は子どもたちの遊び場であり、自分の未来をピッチの上に見る。生活の中に楕円球が自然に溶け込んでいた。

 日本もこうなればいいのに。
 そう思ったのは、例えば州代表の試合でも、必ずU20、シニアの試合がセットで、男女両方のカテゴリーについて同じ会場で実施されることだ。
 もちろん多くのファンは男子シニアの試合に最も興味があるのだが、他のカテゴリーを見るために早くからスタジアムに足を運ぶ人たちも少なくなかった。

 それぞれのカテゴリーへのリスペクトがあるからこそ、試合を組む人たちは複数カテゴリーをまとめて届けるし、ファンはそれを受け入れる。
 フィジーで見たこと、経験したことを日本で話すだけでも、変化のきっかけになるかもしれない。

試合前のコイントス。大柄な選手たちに挟まれて子どものように見える

 帰国直前の2日間もクラブレベルの大会で笛を吹いた。
 キックオフの時間になってもチームが姿を現さず、ウォームアップを終えた対戦相手がピッチに入った。「2分だけ待とう」となったものの結局来ず、そのまま試合が終わる。が、誰も騒がない。
 そんな大らかな空気が自分に合っていた。

 山間部での試合の帰途、大雨に遭い、車中泊となりそうだったときがある。そんなとき、どこからか子どもたちが集まって来て、みんなで車を押してくれたことがあった。
 イースターの時、行進している人たちが歌っていた讃美歌の美しいハーモニーも覚えている。
 親切と笑顔がそこら中に、あたりまえにある国だった。

 帰国してからもすぐに、太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ北九州大会(4月6日、7日)や東日本大学セブンズ(4月14日)でレフリーを務め、多忙な日々を送っている。
 海外への研修にも出かけた。

 フィジーの仲間たちに再訪の意志を伝えたように、その願いが近い将来に叶ったらいいな。
 その時、成長した姿を見せられたら今回の恩返しにもなる。
 試合後にはまた、楽しくカヴァパーティーをやりましょう。

水浸し、凸凹のグラウンドは当たり前



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