タックルせんやつはおらん。今年の定期戦『福岡高校×修猷館高校』は、福中・福高ラグビー部創部100周年記念試合
3トライを先行。大会での結果など、最近の成績では先を歩く好敵手を前半は15-7とリードした。
後半に入り、さらに引き離す時間帯もあった。しかし、ラストプレーでトライを許して30-33と逆転負けを喫した。
4月27日(土)、福岡にある『JAPAN BASE』で地元の伝統ある高校同士の定期戦、福岡×修猷館がおこなわれた。
2024年は福岡高校ラグビーの創部100年にあたる節目の年だ。同部は旧制福岡中時代の1924年に歩み始め、長い歴史を積み重ねてきた。
この日の試合は、毎年実施されている定期戦を創部100周年記念試合と位置付けて実施した。
100周年事業の最初のイベントが、この日の定期戦だった。
7月28日には記念式典も予定されている。その後、9月下旬の東京遠征もある。
現在は途切れているが、以前おこなわれていた3年に一度の海外遠征も、来春復活するかもしれない。
修猷館との定期戦には幅広い年代のOBたちが集まった。
現役戦のあとには年代別のOB戦も実施され、前座試合では、招待したいくつかのラグビースクールの子どもたちが芝の上を駆けた。
100周年記念事業を計画、実行するメンバーの中心にいるひとり、郷原裕季さんは、定期戦のコンセプトを「感謝と種蒔き」と話す。
「長い歴史を築いてきてくださったOBの方々への感謝の気持ちが、まず、あります。子どもたちには、それぞれの試合を終えた後、定期戦を見てもらうことにしました。福高や修猷館のラグビー部に憧れてもらえたらいいな、との思いから企画しました」
この日、赤×白のジャージーに憧れを抱いた少年、少女がいたかもしれない。
悔しい敗戦とはなったけれど、果敢に攻めた姿勢は魅力的だった。
鋭い出足からの好タックルが何度もあった。
最後に逆転された瞬間こそ落胆の声が聞こえたものの、たくさん集まったOB中心のギャラリーから、すぐに拍手が起こった。
チームを率いる原雅宜監督も、「負けましたが、よく善戦した」と選手たちを称えた。
「新人大会から(修猷館とは)差はありました。きょうは周囲も盛り上がっていましたが、選手たちは、もっと気持ちが入っていた。それがプレーにあらわれたと思います」
全国大会に37回出場している名門だ(選抜大会にも1回出場)。優勝3回、準優勝3回、4強5回と、輝かしい足跡が誇らしい。
15人制日本代表のキャップホルダーを14人輩出。同セブンズ代表に4人、女子15人制日本代表に2人。女子セブンズ代表に1人(永田花菜は東京五輪に出場)と、桜のジャージーも長く支えてきた。
2019年ワールドカップで大車輪の活躍を見せた福岡堅樹さんは38キャップを持ち、同校OBの中の最多。代表主将を8試合で務め、日本ラグビー協会の会長も務めた森重隆さんも同校育ちで、この日も定期戦の会場に足を運んだ。
筑波大から埼玉パナソニックワイルドナイツに入った谷山隼大は、今夏のパリ五輪出場を目指している。
福岡堅樹さんが(2013年に)選出されるまで、福高OBで日本代表に選出されたのは1998年に2キャップを得た神田識二朗(こうだ・つねじろう)さんが最後だった。
早大卒業後、当時九州電力でプレーしていた神田さんはフランカー。同年のオックスフォード大戦と韓国戦に出場した。
神田さんは高校入学後にラグビーを始めた。中学までは野球部。同じクラスで隣の席になった高丘利勝さんは陸上部出身で、ともに「もう、あげん走りたくなかね」と話し、ラグビー部に入ったそうだ。
当然、思うようにはならなかった。
タックルで階段を昇っていった神田さん。その基礎は高校時代に築かれた。
「タックルするのが当たり前。それが伝統の部です。タックルせん奴とはラグビーはせん、という空気もある。だから、教わるわけでなく、誰でもタックルするようになったと思います」
会場には記念グッズの販売コーナーもあった。
その中には、チームの公式キャラクター『ダルセンくん』がデザインされているものもあった。
『ダルセン』とは、同部に以前あった、厳しい練習の呼称だ。蹴られたボールを追い、セービングして、走る。それを繰り返す練習メニューは、長く受け継がれていた。
その練習が終わると、誰もが手も足も前に出せないほどヘトヘトになった。
それで、「ダルマになったように、手も足も出せんようになる練習」から『ダルセン』となった。そういう言い伝えもある。
部のHPにある公式キャラクター『ダルセンくん』のプロフィールには、「7回転んでも8回起きるのはダルマさんですが999回転んでも1000回起き上がるのがダルセンくん。大きくて強い相手にタックルしては立ち上がりタックルしては立ち上がる」とある。
100年間チームが貫いてきたものが、そこからも読み取れた。