コラム 2024.03.21

【コラム】設定タイムは伝えない。

[ 野村周平 ]
【コラム】設定タイムは伝えない。
2021年、三菱重工相模原ダイナボアーズにDFコーチとして加入。昨季HCに昇格したグレン・ディレーニー(撮影:松本かおり)

 秩父宮ラグビー場の観客席にいたニュージーランド代表のスコット・ロバートソンHCが思わず拍手を送った。

 3月17日、東芝ブレイブルーパス東京-三菱重工相模原ダイナボアーズ。20点を追う相模原DBは後半28分、狭いスペースでの短いパスやオフロードパスをつないで、ナンバー8マリノ・ミカエリトゥウがトライした。教え子のSOリッチー・モウンガらの視察にきていたオールブラックスの指揮官の心を動かすチームプレーだった。

 その後も相模原DBは今季好調のBL東京に対して、あきらめず攻め続けた。落ち着いて最後の20分を締めくくりたい強者に、ペースを握らせなかった。最終的に19-41とスコアは開いたが、挑戦者の心意気は伝わってきた。

「最後まで走りきれる自信があるんです」。岩村昂太主将は試合後に言った。昨年7月半ばに始動したチームはクロスボーダーの中断期間中、さらに自分たちを追い込んだ。中でも、岩村が「体だけじゃなくメンタルも鍛えられる」と苦笑いで紹介する体力強化のメニューは一風変わっていた。

 練習グラウンドがある会社の外周、4キロ弱をまわる持久走だ。設定タイムは過去のデータに基づいて選手ごとに決められている。が、コーチはそれを選手たちに伝えない。走る時は時計も持ってはいけない。自分のタイムが分からないまま、瞬間瞬間に全力を尽くさないといけない仕掛けなのだ。

「どれだけ自分たちを追い込めるか。それをコーチたちは求めている」と岩村は意図を解説した。加入2年目のCTB岩下丈一郎は「己の芯の部分を試されている」と言葉を置き換える。タイムを切ることは目標であって、目的ではない。あくまで自分の限界を突破し、試合でより早く、長く走れるようになることが持久走の目的なのだ。

 考案したのは就任2季目のグレン・ディレーニーHC。その手腕は、昨季の相模原DBの奮闘で知られるようになった。今季は新コーチを入れてオフェンスをてこ入れし、前年王者クボタスピアーズ船橋・東京ベイに土をつけるなど、更なる進化を見せている。ただ、そのコーチングの根本に「合理的な猛練習」(石井晃ゼネラルマネジャー)がある。

 短い時間で選手たちの体と頭を追い込む。疲れきった状態でどうすれば正しいプレー判断を重ねられるかを染みこませる。ユーモアはあるが、厳しい言葉も発するというヘッドコーチが醸し出す「緊張感」は、2部だった頃のチームには見られなかった凜とした雰囲気を選手たちにまとわせている。

 ディレーニー氏がアシスタントコーチだった時、九州に行ったシーズン前の練習試合で相模原DBは敗れた。するとディレーニー氏は烈火のごとく怒ったという。

 石井GMはその時を鮮明に覚えている。「それまではオープン戦で負けても、ポジティブな要因を探せばいいというレビューが普通でした。でも彼は違った。本当に負けず嫌いだった。それが新鮮でした。負けを簡単に許さない。そういう人間がこのチームに必要だと思ったんです」

 そのシーズンで1部昇格を果たすと、石井GMはディレーニー氏のヘッドコーチ昇格を決めた。「彼は常に本気です。私も妥協できない」。指揮官の情熱が、チーム全体を引き上げている。

 私は昨年、100回目の対戦となった早慶戦の前に、TBSの人気ドラマ「VIVANT」監督を務めた福澤克雄さんに慶大ラグビー部時代の思い出を聞いた。福澤さんは当時の猛練習があまりにつらく、「極端にラグビーが嫌いになった」と振り返っていた。卒業後はラグビーから距離を置いた。時を経て19年W杯前に「ノーサイド・ゲーム」を制作するなど、ラグビーへの愛情を復活させるのだが、誰かにやらされる猛練習というものは、それほど大きな負荷を選手の心身にかけるものだ。

 しかし、岩村にしても岩下にしても、負けず嫌いのディレーニーHCが課した猛練習をどこか楽しげに話す。なぜだろう。岩村はこう言っていた。「僕たちは2027年までのリーグワン優勝を掲げてトレーニングしています。つらい練習についてこられないなら、このチームにいられないだけ」。やらされているのではない。自分たちで決めたゴールにたどり着くために猛練習を受け入れる。

 選手の主体性、いわゆる「内発的動機」を引き出せるかはコーチの腕の見せどころだ。

「おまえの芯はどこにある?」。設定タイムを伝えない持久走で、ディレーニーHCは選手たちに問いかけている。きつくても走ることができるのは、自分の限界がまだ先にあることを選手たちも信じているからだろう。

【筆者プロフィール】野村周平( のむら・しゅうへい )
1980年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞入社。大阪スポーツ部、岡山総局、大阪スポーツ部、東京スポーツ部、東京社会部を経て、2018年1月より東京スポーツ部。ラグビーワールドカップは2011年大会、2015年大会、2019年大会、オリンピックは2016年リオ大会、2020東京大会などを取材。自身は中1時にラグビーを始め大学までプレー。ポジションはFL。

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