コラム 2024.03.11

【ラグリパWest】ラグビーを再構築する。大阪経済法科大学

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】ラグビーを再構築する。大阪経済法科大学
ラグビーを再構築する大阪経済法科大学。監督として招へいされたのは元日本代表の吉田明さん(後列中央)。前任の日本文理大ではコーチと准教授をつとめた。選手の藤澤晴基さん、盛井勇希さん(前列左から)は希望に胸が膨らむ。ラグビー部部長の石山陽浩さん(後列左)とラグビー部顧問の真田健富さん(後列右)はそのサポートに回る。


 ラグビーを再構築してゆく。

 大阪経済法科大学は関西のDリーグ、もっとも下から高みを目指す。京産大や天理大のいるAから数えると四部になる。

 この私大は4つの学部、経済、経営、法、国際と大学院を持つ。学生数は4000人ほど。学生部の課長、石山陽浩(あきひろ)は日焼けして、ごっつい感じが漂う。

「就職は警察や消防なんかが強いです。大阪府内では1、2位を争っています。4年生のひとりは国税専門官にも受かりました」

 国税専門官になるためには、軸となる会計学や税法に加え、判断力や応用力なども要求される。合格は難しいとされている。

 公務員試験合格に力を入れるのは、「新興」の部類に入る大学として独自色を打ち出すためだ。開学は1971年(昭和46)。キャンパスは2つ。ともに八尾市内にあり、花岡と近鉄八尾の駅前である。

 花岡キャンパスは生駒山から信貴山(しぎさん)への緑の山並みの麓(ふもと)にある。西には大阪平野が一望できる。

 このキャンパスには真新しい人工芝グラウンドもある。完成は昨年2月。必要に応じてポールが立てられ、試合ができる。

 ハード面の充実とは逆に、このグラウンドを使っていたアメリカンフットボールやソフトボールなどの部活動は、コロナの影響で自然消滅した。その要素も含め、ラグビー部の強化が学内で確認された。

 ラグビー部の創部は開学と同じ1971年。ジャージーは青色である。
「チームとしてはCリーグが最高です」
 石山は学生課長とともに、OBとしてラグビー部の部長もつとめている。

 石山は47歳。現役時代はFLだった。その出身高校は大阪朝高。学校は八尾の北隣の東大阪にある。母校は冬の全国大会出場11回、4強進出3回の強豪になった。

 その石山が監督だった昨秋は合同チームでDリーグを戦った。大阪商業大など4校構成である。4戦全勝とするも規約上、合同チームは入替戦出場の権利はなかった。

 石山とともに、ラグビーを再構築の中心にいるのは真田健富(たけとみ)だ。石山と同じく大学職員。その資産を管理する管財課の課長代理などをつとめる。ラグビー部での肩書は顧問。石山より7つ上である。

 真田は色白で、その目は光る。切れ者感が漂う。高校は大阪の阿倍野(あべの)。石山と同じFLだった。神戸大ではケガなどでラグビーをリタイアする。

 コロナ前、真田は40歳以上のメンバーで作る「惑」ラグビーに再び身を投じた。
「ラグビーって楽しいですね」
 色々な境涯の仲間が集まって、体をぶつける良さを再認識する。試合後、酒杯を酌み交わすこともその楽しみに含まれる。

 真田はその知己を頼って2つ下の指導者を連れて来た。吉田明である。啓光学園(現・常翔啓光)から京産大、神戸製鋼(現・神戸S)に進み、CTBとしての日本代表キャップは17を得た。現役引退後は母校の京産大など両手に余るチームを指導した。

 昨春まで吉田は大分にある日本文理大のラグビー部のコーチであり、准教授だった。両親の介護が生じ、職を辞して、生まれ育った京都に戻って来る。その介護が落ち着いたことを知り、真田は面会を申し入れた。昨年の秋口のことである。

 吉田は振り返る。
「大学側の熱意ある誘いとラグビー部強化への思いに心を動かされました」
 面会の翌日、真田は上司と打ち合わせ、そのさらに翌日、大学理事長と採用に関する話をする。「早さは誠意」を地で行った。

 吉田は「教員」にこだわった。大学側はその希望を汲む。職員としての採用は1月1日だが、来月4月からは体育の実技とスポーツマネジメントを学生に教える。吉田は保健・体育の教員免許を持っており、母校でマネジメントの修士号も得ている。

 真田は吉田と会う以前から競技歴のある学生を調べ、声をかけていた。盛井勇希は経営学部の新4年生である。
「真田さんに誘われました。ほぼ0から始まるチームに携わりたいと思いました」
 昨年4月に入部した。人工芝グラウンドが完成した直後である。

 藤澤晴基(はるき)は法学部の新2年生。入部は先月2月とまだ浅い。
「真田さんから電話をもらいました。このまま学生生活を続けても何も残りません」
 2人はともに大阪高校出身。大阪市内にある私立の共学校である。盛井はWTBやCTBをこなし、藤澤はPRに入る。

 ある日の練習はこの2人のみだった。
「就活とか、色々あると思います」
 盛井は他部員を思いやる。吉田はその少なさを気にすることなく、3人で抜き合いをやったりした。藤澤は笑顔だった。
「わからないことはすぐに聞けます。ラグビーの個別指導を受けているみたいです」

 吉田は汗を浮かべながら話す。
「楽しいよ。下からというのはやり甲斐があります。勧誘に主要チームは回ったよ」
 地元・関西だけでなく、東海や九州などへも行き、ラグビー部の再スタートを知らせた。リクルートの観点からいけば、体育の講義も追い風になる。未経験者も大歓迎だ。

 人工芝グラウンドの上方には3階建てのクラブハウスが建っている。吉田は言う。
「これを活用して、高校チームに泊まってもらって、勧誘の一環にできたらいい」
 今の最大の任務は人集め。現在の選手は8人。秋までに単独になる15人に増やしたい。

 入学式を迎えるこの4月は、部員獲得の最大のチャンスだ。グラウンドを得て、指導者も来た。ラグビー部一丸となって、この春を熱くしたい。「数は力」を胸に秘める。

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