森キンと行こう。マスターズ花園で感じた充実。西南学院高校OBチーム
いくつになっても叶えたい夢がある。
素敵な人生だ。
それが仲間と一緒に追う夢だったら、なお楽しい。
若き日のままの情熱で熱くなれる。笑いあえる。
いつも以上に頑張れる。
西南学院高校ラグビー部のOBたちは、2023年の10月を忘れない。憧れの地、花園の芝の上をみんなで駆けたからだ。
2023年10月7、8、9日に開催された『マスターズ花園』に参加した。
前年に第1回がおこなわれた大会は、おっさんたちに少年の心を抱かせるもの。
その大会に参加した。
西南学院高校は福岡市の早良区にある。1916年(大正5年)創立のミッションスクール。同校ラグビー部も長い歴史を持つ。
全国大会へ出場したことはない。1988年度の花園の県予選、準決勝まで勝ち進んだのが最高位だ。
同年は東福岡に負けて決勝進出はならず、結局花園へ出場したのは東筑だった。
当時のメンバーのひとり、伊佐尚一郎さんが思い出す。
「私は入学してから卒業までの全8大会、すべてヒガシに負けたんですよ」
後輩の宗健一郎さんの代は、オール福岡が8人ほどいて優勝候補だった。
しかし福岡高校からタックルの嵐を受け、予選初戦で敗退したそうだ。
1976年から定年退職となる2013年まで、チームを長く指導した森正和先生(現在73歳)には、毎年の部員たち(400人以上の卒業生を送り出した)の奮闘の記憶が刻まれている。
花園には行けなかったが、教え子たちの頑張りをいつも感じていたから悔いなし。
聖地への思いは、自身の胸の中で区切りはついていた。
しかし今回、「マスターズ花園へ、みんなで出よう」と同校OBたちで盛り上がった時、一人ひとりの心にあったのは『森キンを花園へ』の思いだった。
森キンとは、教え子たちが先生を語るときのニックネームだ。若き日の先生の風貌が、ガキ大将のようだったことから、当時の部員がそう呼び始めたらしい。
2022年の12月。関東でプレーを続ける若手卒業生たちの激励会への場で、誰かの口からマスターズ花園の話が出た。
何人もの口から「出よう、出よう」の言葉が聞かれたのは、皆が、お世話になった先生への恩返しをできていないと思っていたこともある。
大会参加時にキャプテンを務めた田中正二郎さんは、「森先生の存在がトリガーとなって、みんなが結束したと思います」と振り返る。
最初はいっきに燃え上がった話が、やがて冷めてしまうケースは、よく聞く。
しかし、この時のみんなの心の灯は消えなかった。
メンバー中に、55歳以上17名を含むこと。
そんな大会規則のハードルは決して低くなかった。
しかし、最初は「ケガもあるし、し切らんぜ」と言っていたOBも、周囲の熱にほだされて立ち上がった。
東京組は練習場所を探し、確保して練習を重ねた。福岡組は、母校のグラウンドに集合して汗を流した。
宗さんがOBたちの考えと大会の存在、みんなが盛り上がっていることを森先生に伝えると、先生は「いいぜ。本当に出られるとや。出る、出る」と笑顔になったそうだ。
大会には、選手60人(55歳以上は25人集まった)、関係者10人が参加した。選手の最高齢は66歳だった。
試合がおこなわれた10月8日の前日に大阪に集合し、懇親会兼作戦会議。試合当日を迎えた。
対戦相手は滋賀の膳所高校。33-5と快勝した。
森先生は、監督時代のようにピッチサイドを選手と一緒に走ることはなかったが、昔と変わらず、コーチボックスから出てボールの位置を追うように、歩き回っていた。ずっと笑顔だった。
試合後は相手チームと懇親会。それが終わった後、場所を移してみんなで呑んだ。関西のOBたちも駆けつけた。
3次会は、同日フランスでおこなわれたW杯の日本×アルゼンチンの臨時パブリックビューイング。
忘れられない1日になった。
大会に出よう、となってから10か月。OBたちが役割分担し、実現に漕ぎ着けた日々を振り返って伊佐さんが言う。
「もの凄い結束力で、こういう感じで仕事ができたら、なんでもやれるような気がしました」
高校時代に花園に出られなかったことは、やはり、心のどこかに引っかかっていた。
「そのときに感じた、ああしとけばよかったというものを、今回みんなでやれて良かったな、と感じました」
田中さんも、「森先生の退官のときに全員が集まることはあっても、世代を超えてなにかをやり切る、ということはありませんでした。私も、こういう感じで仕事をやれたら気持ちいいだろうな、と思います」と話す。
そして、大仕事をやり切り、「ロス状態が続いています」と苦笑した。
ふたりの耳には、大会から時間が経っても、参加者から「ここ数年で一番楽しかった」という声が届く。
「これからも縦の繋がりを大事にして活動し、若いOBの活動のサポートをしたり、何よりも現役(高校生)が花園に行けるように力になれたらいいですね」(田中さん、伊佐さん)
大阪からの帰路を森先生とともにした宗さんは、博多に着いて、先生とまた盃をかわして楽しかった時間の余韻を楽しんだ。
「先生は何度も、本当に良かったと繰り返されていました」
「それが凄く嬉しかったし、参加した方々の笑顔が見られ、先生が言うように、それが本当に良かった」
伝統の白と緑の段柄を着た高校生たちが、花園を駆ける日はやってくるだろうか。
先輩たちは、結束したときに生まれる力の大きさを示した。その姿は少なからず、現役たちにエナジーを与えただろう。