コラム 2023.12.04

【ラグリパWest】ラグビー経験をホテルで生かす。中川善雄 [都ホテル四日市/総支配人]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】ラグビー経験をホテルで生かす。中川善雄 [都ホテル四日市/総支配人]
花園近鉄ライナーズのトップ、部長職を9年に長きに渡って勤め上げた中川善雄さん。先月11月、都ホテル四日市の総支配人になって異動した。神戸Sとのプレシーズンマッチが行われた11月25日には、会場となった花園ラグビー場に来場。あいさつ回りや後任の指導にあたった



 格好良く書けばビジネスマン。普通ならサラリーマン。その人たちにとって、人事異動は避けて通れない。組織の活性化は世の常だ。

 中川善雄もご多聞にもれない。花園近鉄ライナーズのトップである部長は、都ホテル四日市の総支配人になった。

 異動の辞令は11月21日に下りた。ライナーズが所属するリーグワンのディビジョン1(一部)の開幕は今月12月9日である。それを待たずにチームを離れる。

「管理職の異動は、毎年この時期です。分かっている話ですから。ただ、チームに対して申し訳なさがあります」

 特にヘッドコーチ(監督)になった向井昭吾に対してその思いは強い。就任は今年7月。チームの立て直しのために外部から招へいされた。昨季、ライナーズは最下位の12位に沈む。向井は62歳。中川は3つ下になる。

「向井さんには一方的な親近感がありました。8年前、会議でお会いした時、ラグビーはこうあるべきだ、ということなんかを教えてもらいました。フレンドリーに接してくれた。その人のお役に立てないのは残念です」

 中川にとって、向井は「先生」だった。初顔合わせは2015年、トップリーグ(リーグワンの前身)の代表者会議だった。中川この年からラグビー畑に入った。向井は廃部したコカ・コーラや日本代表の監督をつとめた。

 中川は9年間、部長としてラグビーに携わった。この長さは異例である。
「普通は3、4年で異動になりますが、会社としては動かしにくかったと思います」
 チームにとっては激動の時代だった。ホームの花園ラグビーが東大阪市の所有に変わったのが着任の2015年。3季目にトップチャレンジ(二部)に落ちた。リーグワンへの再編。そして、昨年5月に一部昇格した。

 中川は近鉄グループホールディングの部長である。この管理会社はその下に150ほどの会社を擁する。根幹は鉄道。派生するバスやタクシー、不動産、百貨店、ホテルなど多岐にわたる。社格にもよるが、中川は社長になる資格を有している。

 その入社は1987年(昭和62)。当時の名称は近畿日本鉄道(略称=近鉄)だった。
「地元で働ける公益サービスの企業として、私鉄を探しました。みなさんに喜んでもらえる仕事がしたかったのだと思います」
 出身は神戸大の工学部。中高は宝塚にある雲雀丘(ひばりがおか)に学んだ。中高大と水泳部。茶褐色の肌はその名残だ。スポーツ・マインドは理解できる。

 入社後、ラグビーを見るようになる。
「山内が同期でした。だから、花園に応援に行ったりしていました」
 山内逸央(やまのうち・いつお)は法大出身。CTB。1929年(昭和4)創部のこのチームでヘッドコーチ(監督)を経験する。

 中川は入社以来、近鉄不動産に籍を置いた。理系出身ということもあってシステム開発などに従事する。その後、3年ほど山口県にあるグループのホテルで働いた。

 ラグビーに引っ張ってくれたのは、森島和洋。当時のチーム顧問である。不動産勤務の時代から中川のことを知っていた。

 そして、東大阪で9年を過ごし、三重の四日市にゆく。単身赴任となる。
「片道2時間以上かけて、通えないことはないんですが…」
 変事があった場合は責任者として、すぐに現場に駆けつけたい。その心づもりがある。

 中川が総支配人として赴任する都ホテル四日市は市の中心にある。近鉄駅からは西へ徒歩3分。地下2階、地上15階建てで客室は100以上。宴会場やレストランを併せ持つ。
「県内には大きなホテルがありません」
 腕の見せ所である。名古屋に流れる客筋をトップとしてこの街にとどめおきたい。

 新職場に思いをはせる一方で、ラグビー部長職の引継ぎにも余念がない。11月25日、プレシーズンマッチの神戸S戦では花園ラグビー場で、新部長の駒喜多学(こまきた・まなぶ)を関係者に引き合わせた。

 神戸Sのチームディレクター、福本正幸はこの日、体調不良で現場にはいなかった。
「お会いして、きちっと離任のあいさつをしたかったので、残念でした」
 中川の内部には、相手に敬意を表するラグビーマインドが備わっている。

 ライナーズに対しては感謝が残る。

「第二の青春を与えてもらいました。おもしろかったですね。勝ち負けにしびれる、ということは、この年になってなかなか得られることではありませんから」

 忘れられない思い出がある。秩父宮ラグビー場だった。昨年5月8日、相模原DBを34−22で降し、リーグワン一部に初昇格した。GMの飯泉景弘が中川にテーピングを巻いたアルミ缶を手渡した。中身はビールだった。

「2018年にチームが下に落ちて以来、禁酒していました。飯泉はそのことを知ってくれていました。うれしくて、一気飲みしたら、久しぶりだったのでむせました」

 ビールの缶は右手に持っていた。
「あかん、バッファロー、って言われると思って、あわてて左手に持ち替えました」
 ラグビーマンは左手飲み。右手を見つかれば罰で、もう一杯、になる。ただ、追加のアルコールはその辺りにはなかったのだが…。

 ラグビーにどっぷり浸かった9年間。浮き沈みはあったが、最後は「昇格」という成果を得た。そして、特筆すべきは、その間、個性豊かな指導陣や選手たちと生きてきたこと。大丈夫。ホテルに行っても元職以上のバラエティーさはない。やれる、やれる。

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