大阪朝高ラグビー部、絆を大切に伝統を継いでゆく。OB会が交流会を開催
1972年創部の大阪朝鮮高校ラグビー部は、昨年創部50周年を迎えた。
同校は高校ラグビーの聖地、東大阪市花園ラグビー場から1・5キロほどの場所にある。
校舎のベランダからは、憧れのラグビー場がすぐ近くに見える。
11月12日に行われた全国高校ラグビー大阪府予選の決勝では大阪桐蔭高校に3-24で惜敗し、全国大会出場の目標は叶わなかった。
1994年、高校体育連盟の特例により公式戦への参加が認められた。その年から近くて遠かった「花園出場」への挑戦が始まる。
同年、大阪府春の総体で優勝の快挙を遂げた。しかし、初参戦となった秋の全国予選では準々決勝で淀川工業高校に8-15で敗れた(その年淀川工業高校は全国出場する)。
その頃は、ほぼ全員が高校に入ってラグビーボールを始めて触る初心者だった。
ラグビーの「ラ」の字もわからない高校1年生にとって、「花園出場」は高校入学とともに現われた、とてつもなく高い目標に思えた。
時が過ぎ、2003年11月16日に行われた第83回全国大会大阪府予選で、近大付属高校を15-13で破り、ついに全国大会初出場を決めた。
花園予選に出場してから10年目の秋だった。
卒業生たちも、念願だった花園ラグビー場に立つ朝高生の姿を見て大いに喜んだ。
あれから20年、大阪朝高は高校ラグビー界でも有名な強豪校となった。
2023年11月19日(日)。近鉄線鶴橋駅から15分ほどの、観光客で賑わう生野区のコリアンタウン。
今は廃校になった旧大阪朝鮮第四初級学校で、大阪朝高ラグビー部OB会主催の「焼肉大交流感謝祭」が開催された。
OB/OG同士の親睦をもっと深めるためには、どうすれば良いか?
今年に入って新しく任命されたOB会の暫定役員たちが、約半年間準備をしてきたイベントだった。
「親睦」と「支援」。
校友会、学友会、あるいはOB会など、名称は違えど、数多ある卒業生団体の目的は、大きくその二つと言えるだろう。
今回のイベントは、学生達はもちろん、OB/OGも参加費無料だった。
「今までサポートしてくれた会員への還元です。OB会からの連絡や行事は、会員にとって少なからず負担になるのも事実です。今回のように負担がなければ輪を広げることもできます。これからもっとオープンな会にして、学生たちの為に力を貸してほしいです」
今年から新しくOB会会長に就任した、李英彦氏(1993年入学、ラグビー部23期)はそう語る。
大阪朝高ラグビー部が公式試合に出場し始めた1990年代中頃から、卒業生たちのサポートは同部の強化に非常に大きな役割を果たしてきた。
サポートとは技術的なサポート、財政的なサポートなど様々な形でおこなわれてきた。
日本の学校教育法上、一条校ではなく「各種学校」に分類されるため、授業料の負担が大きい同校においては、なおさら卒業生からの財政的なサポートは大きかった。
2003年の全国大会初出場を機会に、卒業生からの支援をより強固にするために正式にOB会組織が設立される。
OB会設立から20年、学校や父母会と協力しながら現役ラグビー部を「支援」してきたが、近年もう一つの目的である「親睦」の大切さを感じての今回のイベントだったのだ。
朝鮮高校名物の七輪を囲んでの焼肉交流会は、初代OB会会長である南秀明氏(ナン スミョン、ラグビー部2期)の乾杯で開会した。「先輩も後輩も分け隔てなく<大阪朝高ラグビー部>の名のもと、一致団結して学生たちをサポートしていきましょう」とOB同士の繋がりの重要性を挨拶で述べた。
2年連続で全国クラブラグビー大会への出場を決めた、大阪千里馬クラブ(以下、千里馬:チョンリマ)も鶴見緑地球技場での紅白戦を終えてチームで参加した。
1980年に大阪朝高ラグビー部のOBチームとして創部された千里馬。現在では未経験者から元日本代表、元トップリーガーなど、年齢、経験、国籍問わず60名程の部員が所属している。
「皆様、いつも千里馬クラブの応援ありがとうございます。昨年は惜しくも全国大会決勝で負けてしまいましたが、今年も全国大会への出場が決まったので、必ず優勝して在日スポーツチームで初の日本一になります。応援よろしくお願いします。」
OBであり千里馬監督の韓裕樹氏(1997年入学、ラグビー部27期)は感謝と決意を伝えた。
午後3時に始まった交流会は、いつの間にかナイターが灯り、各年代や歴代マネージャーが紹介されていた。
初代女子マネージャーの鄭承花氏(ラグビー部3期)は、「創部当時はグラウンドがなく、田んぼで練習して、いつも泥まみれのユニホームを洗濯したことを思い出します。これだけ立派になったウリ(我が)朝高ラグビー部をサランハンミダ(愛しています)」とスピーチで述べた。
参加したOB/OGは110名。200名を超える交流会は大盛況だった。
同世代との思い出話は尽きることなく、世代やチームを超えた交流にも繋がったようだ。
生駒山から吹き降ろす風の中、今日も選手たちは走っている。
今も昔も変わらない何かがそこにある。