コラム 2023.11.15

【ラグリパWest】創部80周年に向けて。福岡県立筑紫丘高校ラグビー部

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】創部80周年に向けて。福岡県立筑紫丘高校ラグビー部
2026年で創部80周年を迎える福岡県立筑紫丘高校のラグビー部。冬の全国大会出場は3回。文武両道で県内の名門校のひとつである。写真はモール練習の一コマ。白ジャージーを着ているのは1年生である



 筑紫丘(ちくしがおか)はその名の通り、丘の上にある。西鉄の大橋駅からは10分ほど。最後に緩い坂を歩む。

 この福岡の県立高校は「がおか」と呼ばれている。ラグビー部は3年後、創部80周年を迎える。

 その前祝いをこの全国大会の県予選ではできなかった。10月29日、準々決勝で筑紫に7−74。103回目の大会だった。

 筑紫とは同じ第5学区に属し、定期戦を戦う仲だ。全国大会に筑紫丘は3回、筑紫は5回の出場実績がある。

 試合の3日前、筑紫丘のOB監督、中村総一郎はその定期戦を振り返っていた。
「夏にあった試合は勝ちました。スコアは19−15くらいだったと思います」
 やはり、公式戦は違う。チームを指導することは常に難しい。

 中村は来年1月で34歳になる。筑波を卒業すると同時に母校に戻った。主業は保健・体育教員である。今年で11年目。現役時代はSOだった。

 その中村が生まれる10年ほど前、筑紫丘は全国初出場を決めた。59回大会(1979年度)。そこから65、69回大会と続く。

 初出場時は1回戦敗退だった。準優勝する國學院久我山に4−24。当時の左PRは矢ケ部博。早大ではその突進力でバックローに変わり、4年時には主将になった。現姓は角。筑紫丘ラグビー部のOB会長である。

 日本代表は2人を出している。SO豊田次朗はキックに優れ、西南学院大から近鉄(現・花園近鉄L)に進んだ。当時は代表の国際試合がない年もあり、ノンキャップになったが、60年代を代表する選手だった。

 郷田正は早大で角の6学年下になる。快速WTBとして首の筋を浮かせ、猫背になって走る姿にファンは魅了された。卒業後は九州電力(現・九州KV)入り。キャップ8を得た。

 大六野(だいろくの)耕作もOBのひとりだ。政治学者であり、明大学長。就任前には2期13年、ラグビー部の部長をやった。

 筑紫丘の創部は1946年(昭和21)。終戦の翌年である。旧制の筑紫中学の時代だった。この2年後に学制改革があり、旧制中学は今の新制高校に変わる。

 旧制、新制を含め800人を超すOBに最敬礼するのは、主将の江島虎太郎である。
「みなさんが積み上げてきて下さって、僕たちがプレーできます。そこに感謝があります」
 江島は角と同じ左PRとして、174センチ、85キロの体でスクラムの芯になった。

 筑紫丘を選んだ理由も話す。
「ラグビーもしたかったし、勉強で大学にも行きたかったからです」
 競技は小3から「つくしヤングラガーズ」で始めた。幼なじみがやっていた。
「ラグビーは体と体がぶつかる。どっちが強いかはっきり分かります」
 格闘技的要素に面白みを感じた。

 江島が言う「勉強」は、この春の合格実績でいけば地元の九州大に103人。東大4人、京大11人になっている。

 昔、職場の後輩の冗談を聞いたことがある。
「九州大の総長の椅子を福岡の5校で回していますもんね」
 その5つとは、東から小倉、東筑、福岡、修猷館、そしてこの筑紫丘である。彼女もまたそのひとつの卒業生だった。

 筑紫丘に推薦入学の制度はあるが、ラグビーの競技歴のみでは通用しない。中村は言う。
「通るかどうかは分かりません。だから、こちらも強く勧誘できません」
 希望者は自力で入学してこないといけない。その分、達成感は誇りに変わる。

 筑紫丘の源となる旧制の筑紫中学の開校許可は1926年(大正15)に下りた。現在では全日制で男女共学、普通科と理数科を持っている。各学年は11クラス。40人学級。男女比は半々程度である。

 その2年生の担任を中村はラグビー部の監督とともにつとめている。
「偏差値の高さと人間性は必ずしも一致しないと思っています。進学校と呼ばれる学校ほど人間性を伸ばさないといけません」
 社会に出れば、卒業生は人の上に立つ可能性も少なくはない。中村はそこを見据えている。

「これしなさい、あれしなさいと言い過ぎてもこの学校の生徒たちにはフィットしません。大事だと思ってもらえるように、こちら側が働きかけねばなりません」

 中村は練習を見守り、時折、思ったことを口にする。強制ではなく、生徒たちに気づきを与え、動いてもらう。高校時代を合わせると筑紫丘で14年を過ごしている。考えや行動はその経験から出ている。

 中村のその思いを知るように、この2023年には選手39人、女子マネ2人の計41人がラグビー部に集まった。

 その追い風となるように、グラウンドの人工芝化が話題に上っており、校内南側には新校舎の建設が始まっている。

 白砂のグラウンドで3年間を過ごした江島は、高校ラグビーを終え、次は受験に入る。理系の学部を目標にしている。
「食品の研究がしたいのです。僕は卵アレルギーがあって、母は卵を使わないベーグルを作ってくれたりしました」
 愛情を世間に還元しようとしている。それはまたラグビー精神に合致する。

 そんなOBが増えてゆく。そして、漆黒のジャージーはうしろにつながる。試合の勝ち負けに関係なく、組織としての「めだたさ」がこの筑紫丘にはある。


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