【ラグリパWest】最強の男。竹内嘉章 [LeRIRO福岡/HO]
最強の男である。
竹内嘉章は高3冬に全国優勝を果たした。ラグビーの名門、東福岡、愛称「ヒガシ」の正HOだった。
竹内の代は「ヒガシ史上最強」と言われる。その理由は圧倒的な攻撃力にある。平均得点は60、同失点は11。5試合を戦った94回全国大会(2014年度)である。
竹内の目は子供のようにキラキラしている。長い茶系の髪は、かすかに接客業チックだが、幼少時から不変の優しさの表れであろう。
「僕たちの代はFWとBKのバランスのとれたいいチームでした。史上最強は垣永さんや藤田さんの代という声もありますが…」
垣永真之介の代は89回大会、藤田慶和の代はその2大会後、ともに頂点に立っている。これは優勝7回と歴代3位の記録を誇る東福岡にあって垣永は2、藤田は4、竹内は5回目Vにあたる。PRだった垣永は東京SG、FBだった藤田は三重Hに所属する。日本代表キャップはそれぞれ12と31を得ている。
竹内は今、その輝かしい高校時代を過ごした福岡に戻っている。昨春、創設された社会人チーム、「LeRIRO福岡」の一員になった。チームの読みは「ルリーロ」。九州最上のトップキュウシュウAリーグに所属する。
ルリーロの立ち上げに参加したのは、竹内の最強世代の同期だった。高野恭二(現在は日野に移籍)や殿元政仁である。2人は休部した宗像サニックスから加わった。その日々をSNSなどで知る。
その輪に加わりたい。一方で自分には家族があり、ブランクもある。悩んだ背中を押してくれたのは、妻の千遥(ちはる)だった。
「あんた、まだラグビーがやりたいんやないの? やるなら今しかできひんよ」
2人は中学の同級生だった。竹内の近大3年時に第一子を授かっている。
大学卒業後はセコムに就職した。ラガッツというラグビーチームを持っている。
「3か月でやめてしまいました」
仕事をして、練習には1時間30分近くかけ、合流しなければいけないなど、退社理由はあった。妻は竹内に従った。
故郷の大阪に戻ったのは4年前の夏。竹内の実家は塗装業を営んでおり、仕事や生活費に困ることはなかった。ただ、真剣なラグビーとの決別にはなる。その流れの中でのルリーロの誕生であり、妻の応援だった。
ルリーロへの入団は同時に職探しである。チームに基本的にプロはいない。久留米市へ一家で引っ越すにあたっては、市の移住・定住支援を受けた。久留米は、ルリーロが本拠地にするうきは市の西隣に位置する。
当地に移り、1週間ほどで吉瀬(きちぜ)晋太郎から仕事の電話をもらった。
「浮羽究真館高校の事務室はどう?」
吉瀬はこの県立校の保健・体育教員であり、ラグビー部監督でもある。ルリーロの創設にはその中心となって動いた。
吉瀬のおかげで、竹内はこの年度初めの4月から、高校事務職員として働けるようになる。各種の証明書発行などを任されている。
「雰囲気が明るくなりました」
吉瀬は事務室の変化を外から感じている。
竹内の明るさは練習参加時間のこともあるのだろう。1時間30分を要していたものが、秒とは言わないまでも、分でできるようになった。練習は通常、この高校のグラウンドで行われ、ウエイト場も校内にある。
「毎日、めちゃくちゃ楽しいです」
仕事とラグビーの充実がある。
竹内が人生を賭してまで続けるラグビーに出会ったのは中学入学時。大阪の長吉西(ながよしにし)だった。顧問に誘われた。
中学3年間でヒガシのラグビーに憧れた。
「イケイケで楽しそうでした」
関門海峡を渡り、寮生活を始める。
「大阪からラグビーでヒガシに行ったのは、林栄さんについで僕が2人目のはずです」
林栄は藤田の同期で優勝経験者。同じHOだった。卒業後は関西大でプレーを続けた。
竹内は毎日、グラウンドの照明が落ちるまで、時にはひとりでタックルバッグに入り続けた。高2で正選手になる。当時の体格は172センチ、90キロ。高3時は主将にFLの古川聖人(まさと)を抱き、最強世代を形成する。古川は立命大からトヨタVに入り、日本代表キャップ3を持っている。
竹内の進路は近大。関西に戻る。2年でU20日本代表に選ばれる。翌春、右ひざのじん帯を断裂。復帰まで1年を要し、社会人チームは竹内から撤退した。4年時には主将になるも、6位と成績は振るわなかった。
それらの競技歴を持ってルリーロにたどり着く。この新チームは昨年、九州のリーグ戦でいきなり優勝した。関東、関西との三地域の順位決定戦は東京ガス、大阪府警に連敗するも、1年目の足跡は残したことになる。
竹内にとって初めてのリーグ戦は今年9月10日に始まった。そして連覇を達成する。不戦勝2つを含む5連勝だった。竹内の先発は1、入替は2。宗像サニックス出身で3歳上の倉屋望とHOのポジションを独占した。
リーグ戦中の10月3日、一般社団法人「ジャパンラグビーリーグワン」より、ルリーロは新規参入の候補となることが正式に認められた。早ければ、2024−2025シーズンからディビジョン3(三部)に加入する。
竹内の目標は明確だ。
「三地域で優勝して、ディビジョン3に入ることです。チームは固まってきています」
道は拓かれた。はるか彼方にではあるが、日本一が見える。そのチームにおれる幸せをかみしめ、奮励努力を続けたい。