【再録・解体心書⑧】驚異の成長期。ワーナー・ディアンズ
中学2年時、父の仕事について日本にやってきた。千葉県スクール代表に選ばれ、全国ジュニア大会にも出場。
「当時は、ラグビーやりたい気持ちが強かった。楽しかった」
高校選びは父と一緒に決めた。流経大柏には日本代表候補選手の経験もある相監督がいた。ボディ・マスタリーと呼ばれる体のコントロールを学び、古武術のアプローチも体験した。速い相手への対応、低いプレーなど、まだ本人も言語化していない要素をふんだんに吸収した。1年時はグラウンドの隅で涙を流すこともあった。
厳しい夏合宿が印象的だ。
「同期と仲良くなった。2年たっても、離れたくないと思える仲間になりました」
3年時の花園は準々決勝敗退(10-14大阪朝高)。その結果よりもプロセスの色々な場面が、今も自分の糧になっている。
「僕はここで育ったので、普通にここで代表になります」
高3の終わり、憧れていたオールブラックスの夢から、日本代表を目指して成長の階段を刻むパスウェイを選択した。選んだ進路はNZではなく、大学でもなく、東芝(ブレイブルーパス東京)。トッド・ブラックアダーヘッドコーチや、リーチ マイケルの存在も挙げ、「自分が一番成長できる選択」と当時、答えていた。
「今思ってもベストの選択です。あの時点で自分にほかにいい道はなかった。周りが言うような、オールブラックスにつながる道はなかった」
夏、国代表をめぐる国際ルール変更を受けて、「日本代表ワーナー ディアンズ、NZ代表を視野に」という新聞記事がNZで出た。短いインタビューを受けた覚えはあったが、自分の答えとは距離のある文面だった。偽らざる心境は「今は、もうNZの代表のことは考えてないですね」だ。
「ジャパンで2023のワールドカップに出ること、まずはオーストラリアAの試合に出ることしか考えてない」
冒頭のオフの話。
旧友と話して、改めて感じたことがある。
「ラグビーってしんどい競技だなと。例えば、バスケはスキルが一番重要。ゲームで、どんな時でもスキルを発揮できるかの厳しさがある。ラグビーは体もメンタルも追い込まれる中で、ハードワークを貫いたチームが勝つ」
「もしスキルで世界一でなくても、タックルで世界一の FLになれる。そういうところが好きです。俺はハードワークを磨いて、世界一のロックになりたい」
見やる高みには少しのブレもない。今、目の前のワーナーはどんな階段を見つめているか。試合ごと変わっていく驚異の成長期は続く。