日本代表 2023.10.09
【再録・解体心書⑦】最高の「2019」に。齋藤直人

【再録・解体心書⑦】最高の「2019」に。齋藤直人

[ 編集部 ]

 ラグビーは3歳で始めた。神奈川県立柏陽高校でラグビーをプレーした父・雅彦さんの影響だ。横浜ラグビースクールに入った。

 同スクールに中学まで所属。南舞岡小、日限山中ではサッカー部にも入っていた。そのお陰でいまもキックがうまい。精度の高いプレースキックはチームの得点源のひとつだ。

 中学3年時は、花園で開催された全国ジュニア大会に神奈川県スクール選抜の一員として参加。優秀選手に選出されるも、「ラグマガに写真が載らなかったことが悔しかった」と覚えている。

 強いチームでやりたい。

 そんな気持ちで進学した桐蔭学園高校では、1年時から花園の芝を踏んだ。ベンチスタートも、後半途中から決勝の舞台に登場した。

 転機は高校2年の夏だった。その年はAチームの9番を背負っていたのに、菅平での夏合宿、東福岡戦の先発を1年生に取られた。心当たりは、前の試合での低調なパフォーマンスだ。防御時に抜かれたりした。

「後輩に負けた。それが悔しくて、悔しくて。その日から取り組み方が変わりました。それまでも高校ジャパンになりたいとか口では言っていましたが、本気度が変わった」

 自己分析は「かなりの負けず嫌い。特に、得意分野に関しては絶対負けたくない。そのためだったら継続して努力できる」。

 その言葉通り、衝撃の日を境に、ラグビーノートには多くのことが書き込まれるようになった。

「ノートは、練習前や試合前に書くものです。やるべきことを書き出し、絞り込み、暗記するぐらい叩き込んでグラウンドに出て実行する。それを繰り返しているうちに、いろいろなことが自然と頭に浮かぶようになっていきました」

 リザーブ落ちの翌試合。常翔学園戦にはSOで先発の座に復帰した。以後、二度とレギュラーを他に渡すことはなかった。2年生の終わりには高校ジャパンにも選出された。

 進化の理由はラグビーノートの存在もあるが、やはり、トレーニングへの取り組み方の変化が大きい。

「フィットネスの練習でも何でも、日頃から絶対にチームでいちばんになるつもりでやっています。妥協しない。それを徹底したら力がついた」

 高校時代に学んだものが自身の礎になっている。

「ラグビーの土台は、桐蔭で作ってもらいました。メンタル。判断。基本的な考え方。HB団は、特に藤原先生(監督)から求められるものが大きい。鍛えられました。桐蔭は練習でもなんでも、ごまかしがきかない。(藤原)先生に褒められたこともないと思います。でも(選手たちは)みんな、あの人に認められたい。厳しいけど(監督のことが)好きなんです。よくOBで集まって、桐蔭は良かったよな、って話します」

 早大進学は、幼い頃からの憧れの気持ちを最優先に考えて決めた。高校時代の2学年上、憧れていた堀越先輩(康介/現・サントリー)が「将来、日本代表になり、ワールドカップに出たいから、それを実現させるために帝京に行く」と話すのを聞いて心が揺れた時期もあったが、初志を貫いた。

「早稲田に来て、伝統の重みをすごく感じます。長い歴史。それを応援してくれる人たちの思い。それらを感じながらプレーできる環境は幸せです。ただ、早稲田でラグビーをやって本当に良かったと思えるかどうかは、来シーズン次第だと思っています。自分がどんな役職に就くかは分かりませんが、やるべきことをやり切り、最高の結果を残したいです」

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